人文学部大串教授のゼミ生たちが、フィールドワークで松本キャンパスの歴史を巡りました。
案内人は、大学史資料センター福島教授です。センターの坂元、田中も同行しました。
今回巡ったのは、松本キャンパス構内の13箇所です。
順を追ってご紹介します。(クリックすると地図を拡大表示します。)
➤START 経法学部前
①西門
このあたりには、戦前は松本衛戍(えいじゅ)病院(陸軍病院)、戦後は国立松本病院の正門がありました。
病院の建物は、現在の人文学部、経法学部棟から中央図書館のあたりにありました。
西門入口の案内看板の前で説明をする福島教授(左)と大串教授(右)
②キャンパスの南北高低差
理学部のB棟と講義棟の間には2~3mの高低差があります。B棟の1階から渡り廊下を渡って行くと、そこは講義棟の2階なのです。(;'∀')
松本キャンパスの土地は南北に傾斜しています。南端の附属病院と北端の人文学部ではおよそ15mの高低差があります。
③法人本部北側
信州大学画像情報ネットワークシステム(Shinshu University Video and Data Network System)の電波塔があった場所です。SUNSとは、1988(昭和63)年~2007(平成19)年に、地理的に分散している信州大学の各キャンパスをパラボラアンテナを設置し繋いで映像と音声をお送り、講義や会議を行った画期的なネットワークシステムのことです。現在のZOOMの先駆けです。大学史資料センター2021秋の企画展で詳しくご紹介する予定です。
松本キャンパスSUNSパラボラ鉄塔(2007(平成19)年の鉄塔解体時の写真)
④正門
1971(昭和46)年に現在の位置に移りました。
⑤正門跡
かつての正門は、旧松本歩兵第五十連隊の正門の場所を引き継いでいました。
写真の石垣の色の違っているところが正門跡です。現在のメディカル展開センター(南側)と医学部図書館(北側)の間になります。ここから東西に通る道が、かつてのメインストリートでした。
⑥ケヤキ並木
連隊跡地が松本医学専門学校の敷地になったとき、竹内松次郎校長が連隊営庭に東西のメインストリートを配置し、その両側にケヤキの苗を植えました。75年の時を経てこんなに大きく成長しています。
ここは、現在、多くの学生が通る西門からのストリートではありません。キャンパス地図で確認してみてくださいね。
⑦初代医学部長竹内松次郎像
竹内松次郎は、旧松本歩兵第五十連隊兵営だった土地を松本医学専門学校(松本医科大学)の校地にしようと尽力しました。銅像の背面には開学式での話が書かれています。
⑧動物の慰霊碑
手前に動物供養塔、後ろに馬頭観世音が祀られています。
⑨医学部倉庫
イギリス積の煉瓦倉庫です。
⑩医学部資料室
旧松本歩兵第五十連隊糧秣庫(国登録有形文化財)
詳しくはこちら⇒信州大学の歴史遺産探訪-2 旧松本歩兵第五十連隊 糧秣庫
⑪白翁稲荷神社跡
もとは、住民が屋敷神として勧請したもので、陸軍が常駐している間は連隊の守護神として祀られていました。
⑫医学部サークル部室
旧松本歩兵第五十連隊倉庫
⑬南北メインストリート跡
医学部前から北へ延びる通りが、かつての南北のメインストリートです。
全学教育機構棟をくぐり抜けていったその先に北門がありました。
➤GOAL
初めは、言葉数が少なかった学生さんたちでしたが、先生の話を聞き信大の歴史に触れていくうちに、自分の通う大学の歴史に興味を持ち始めていったように見えました。
毎日何気なく通っているキャンパスには、この他にも信大の歴史が多く残されています。時には足を止めてゆっくり眺めてみてはいかがでしょうか。
ぜひ、信州大学歴史探訪マップを片手にお散歩してみてください。
(歴史探訪マップは、中央図書館入口に置いてありますので、ご自由にお持ちいただけます。)