
The Symbol of Liberty オープニングセレモニー
https://ssxi.shinshu-u.ac.jp/news/report/post-2255/
〇職員駐車場の前はグラウンドだった
多くの方はつい最近までここが職員駐車場だったことは御存知だと思います。ではいつから職員駐車場として使われるようになったのか。資料を調べてみると、それは2000(平成12)年頃。それ以前は野球などを楽しむ医学部のグラウンドでした。そのグラウンドになったのは1957(昭和32)年頃で、バックネットなども整備され、野球場として利用されることが多かったようです。
1970~80年代頃の様子を知る職員によると、医学部学生の野球部や医学部職員の野球部などがおもに使っていたようです。またこの頃一番の行事は、医局対抗の野球大会が一年を通じてトーナメント制で実施されることだったようです。6月1日の開学記念日には全学部対抗ソフトボール大会の会場にもなりました。野球やソフトボールなど、球技のグラウンドとして利用されていました。

職員駐車場だった頃 グラウンドの面影を残す高いフェンス
〇旧陸軍歩兵第五十連隊衛戍地を引継いだ松本キャンパス
そもそも現在の松本キャンパスの地は、戦前、陸軍歩兵第五十連隊の衛戍地(駐屯地)で、戦後陸軍の解体にともなって1946(昭和21)年4月、医学部の前身、松本医学専門学校がキャンパスとして利用するようになりました。校長で後に信州大学の創設に尽力し、初代医学部長となった竹内松次郎は、早々に連隊営内練兵場(現医学部附属病院)と北側の兵舎の間に東西のメインストリートを設定し、両側に欅を植えて並木を整備しました。欅は大きく育って今も附属病院と研究棟の間に憩いの空間をつくっています。そして、5月には6棟の兵舎を校舎・研究室にするための模様替え工事に着手しています。1948(昭和23)年、松本医学専門学校は松本医科大学に昇格、キャンパスのあちこちに植樹もされました。
1949(昭和24)年5月国立学校設置法で新制国立大学がスタート。信州大学もスタートし、松本医学専門学校・松本医科大学は医学部になり、改装された五十連隊の旧兵舎は引き続き医学部の研究室として使われました。1908(明治41)年建設の旧兵舎は木造で、40年以上前に建てたものでしたから、年季の入ったものでした。
(国土地理院・地図空中写真閲覧サービス)
昭和23(1948)年頃のキャンパス(旧陸軍歩兵第五十連隊駐屯地)
6棟が並んだ旧兵舎を研究室に転用していた。
〇病理学教室の火災
(医学部図書館所蔵写真アルバム)
燃え上がる病理学教室棟 焼失した病理学教室跡から南東方面を望む。
この場所がグラウンドとして使われるようになる。
(医学部図書館所蔵写真アルバム)
南東の上空から見た火災後の旭(松本)キャンパス
〇グラウンドと赤煉瓦の建物
はじまった時期はわかりませんが、ここは野球場などのグラウンドとして利用されるようになり、バックネットなどの施設も1950年代頃までには整備されたようです。このあとのことは先に記した通りですが、平成に入ってグラウンド(野球場)としての利用に支障が生まれました。それは医学部の基礎研究棟の北に医学部のいろいろなところに分散している機器類などの機能をまとめるための建物(旭総合研究棟)を建てる必要が生まれ、その場所にグラウンドの一部がかかってしまうことでした。グランドは医学部にとって必要なものでしたから、やむなく研究棟として利用していた赤煉瓦の建物を壊すことになりました。そのかわり、東にあった現在の医学部倉庫(旧五十連隊糧秣庫)を保存することになったのです。
〇職員駐車場から中央広場へ
この時期は医学部附属病院や研究棟の建設・整備の問題もあり、職員駐車場確保の必要性が生まれました。本格的な整備はキャンパス南側の本格的立体駐車場の整備を待たなければなりませんでしたが、ついにグラウンドの職員駐車場化(仮設駐車場)がはかられました。それは2000(平成12)年のことでした。2023(令和5)年には新キャンパスマスタープランが策定され、立体駐車場も完成、中央広場の整備が進められました。

芝が植えられた中央広場 2025年夏
〇「キャンパスマスタープラン2023」のなかの中央広場
「キャンパスマスタープラン2023」・松本キャンパスマスタープランの「中央広場整備」では、中央広場のイメージ図が載せられていて、以下のような方針が示されています。
「大学にふさわしいアメニティーの高い緑地を整備する。その際に、芝生やベンチを配置し、
学生や教職員のみならず、地域住民も集い交流できる憩いの場とする。中央広場の一環として
周辺の課外活動施設の整備も一体的に計画し、重点的に整備する場所を検討し整備を進めてい
く。キャンパスの中央に位置するこの場所を整備することは、防災面でも重要な意味を持つ。」
抽象的ですが、イメージ図をみると、東側(右側)に登録有形文化財の医学部資料室(旧五十連隊糧秣庫)が描かれるとともに、西側(左側)の広場の北西隅にも煉瓦積みの建物が描かれています。これは現在の医学部部室の一つで、旧五十連隊時代の赤煉瓦建物を改造して部室に活用しています。改造が多いことから価値のない老朽化した建物で、広場の整備に伴って解体するのも仕方ないと考える向きもあるかもしれません。
でも信州大学Webサイト・「信大独創図鑑」特別レポート・"新「キャンパスマスタープラン」を策定 緑豊かで、安全・安心な環境を"では、プランを作成した工学部の梅干野成央准教授と大学院生福田凱乃祐さんが、「この中央広場は、緑豊かな新鮮な雰囲気を基調としつつ、隣接してたつ赤レンガの建築、国登録有形文化財の医学部資料室(旧松本歩兵第五十連隊糧秣庫)が醸す歴史性をも取り込んで、このキャンパスにおける新旧を融合した次代の空間が構想されている。」と述べ、イメージ図のキャプションに「【将来】歴史的建造物を保存し開放感あふれる中央広場」と記しています。
ここに自由を基調とした未来への志向と、広場の歩みに思いを寄せ、キャンパスの歴史にも向き合うこととが共生する空間としての中央広場の意味が示されているのだと思います。中央広場の未来はこの方向で活用されることを期待します。
(文責:福島正樹)
記事はこちらから
「信州大学松本キャンパス 中央広場ものがたり」(PDF)




