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いとう つくす

伊藤 尽

英米言語文化 教授

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Tolkien おしごと 研究

『ユリイカ:詩と批評』2014年8月号 特集「ムーミンとトーベ・ヤンソン」

トーヴェ・ヤンソン生誕100年記念記念号

『ユリイカ』2014年8月号

『ユリイカ:詩と批評』がムーミンとトーベ・ヤンソン(以下トーヴェ)の特集をするのは16年前の1998年4月号特集「トーベ・ヤンソンとムーミンの世界」以来です。  なぜ16年ぶりに特集記事が組まれたか、といえば、もちろんトーヴェ・ヤンソンの生誕100年記念の誕生日が8月9日だからです!  日本では「ムーミン」の名前で親しまれているMoomintrollのものがたりの原作者「トーベ・ヤンソン」は、しかしながら、ムーミンだけを生み出した作家ではありません。 作家として、画家として、多くの業績を残した彼女の人生と作品について、詩心と批評精神の両方を備えた文芸雑誌『ユリイカ』が特集します。『ユリイカ』編集部がこの特集を組むにあたって、版権の問題など、様々な試練がある中での刊行となりました。編集部の御尽力に深い敬意を表するものです。

特集の支柱となった先生方

『それからどうなるの?』(Hur Gick Det Sen?)

本特集では、中丸禎子冨原眞弓両先生が核となって特集が組まれているようです。 中丸先生は「トーベ・ヤンソンの姿 北の孤島の家族の形:海、自分だけの部屋、モラン」という論文(pp128-42)で、ムーミン作品とトーヴェの人生と重ねて、作品の解釈をしようと試みています。 その他、「トーベ・ヤンソン年表」(pp226-34)、「トーベ・ヤンソン著作リスト」(pp235-40)の三つの著作の他、トーベの映像作品の編集をして映像作品を作り上げたリーッカ・タンネルのインタビュー (通訳 森下圭子;pp121-27)の「聞き手」として、八面六臂の御活躍(『ユリイカ』の複数記事の執筆担当は、私も経験がありますが、かなり大変です)。 また、トーヴェの散文作品の翻訳者としても御活躍の冨原眞弓先生は、川上弘美との対談「子ども/大人がはじめて出会うムーミン物語」(pp59-68)に加え、短編「ボートとわたし」翻訳 (pp52-58)も手がけていらっしゃる。 核となられた両先生の記事のスタンス、特に中丸禎子先生の「北の孤島の家族の形:海、自分だけの部屋、モラン」は、本特集のほとんどの執筆者が描く、作家としてのトーヴェへの関心を読者に向けさせます。 そして、それと同時に「ムーミンの世界」は「ムーミンの世界」として、そのトーヴェの一つの側面としてもちろんフィーチャーしつつ、21世紀になっても衰えを知らないどころかますます人気が高まっているかに思える彼女の想像の産物の原点に焦点を当てているようです。

ムーミンのものがたりは、いつから始まり、誰のために書かれたのか。

 御存知通り、ムーミンは小説、絵本、漫画、アニメ(日本、そしてフィンランド)、また絵本の挿絵以外のさまざまなイラストレーションによって、現在に至るまで多くの人々に知られています。 『ユリイカ』の今回の特集では、それらを時系列に並べるのではなく、まず、作家としてのトーヴェの短編から始まります。作者の自伝的な短編。しかも、少女時代の自分の「冒険」を主題にした作品は、「ムーミン」の中の海の存在を、読者に否が応でも連想させます。  続いて、作家川上弘美と翻訳家冨原眞弓さんの対談。直前の短編の翻訳者であり、トーヴェの小説の翻訳者でもある冨原さんは、「ムーミン」の生みの親としてのトーベ・ヤンソンと作品、そして、一般的に人々にイメージされているムーミン以外の作品をも生み出しているトーベへの眼差しが語られ、大変興味深いものになっています。短編「ボートとわたし」の理解の助けにもなる伝記的な事項にも触れながら、続く特集記事への期待を高めています。  そして、一般的に人々にイメージされているムーミンの世界を「解釈」する文学者の論文が続きます。特に最初のレナ・コーレランドは、以前にも論じた『それからどうなるの?』(1952年)、『さみしがりやのクニット』(1960年)、『ムーミン谷への不思議な旅』(1977年)を、子ども(登場人物たち)のアイデンティティ探求の物語から「成長の物語」へと読替を試みます。 次の寺村摩耶子『彫刻家の娘の絵本』は、同じ上記三作の絵本作品を扱いながら、伝記的な事実としての父親との関係や心のすれ違いを論考します。

トーヴェ・ヤンソンとトールキンのコラボレーション。

僕が書いた論考「ファンタジー作家と画作のクロスオーバー:トーヴェ・ヤンソンの『ホビット』挿絵再評価」は、トールキンの作品『ホビットの冒険』のスウェーデン語訳に、トーヴェ・ヤンソンが挿絵を描き、1962年に出版したBilbo: En Hobbits Äventyr の内容と挿絵が如何にマッチしたものかを論じたものです。  この特集「トーベ・ヤンソンとムーミン」を読む多くのトーベ・ヤンソン・ファンは、トールキンの『ホビットの冒険』について、ほとんど知らない人たちもいると思われるし、まわりの記事のトーンと一段ずれてしまっていることに気がつくでしょう。 僕のこの論考は、以前にこのブログでも書いた記事から生まれたと言っても過言ではありません。そこでは、トーヴェ・ヤンソンがスウェーデン人のトールキン・ファンたちに拒絶された事実に触れていました。 ある意味で、ムーミンが大好きな日本人には、「わたしたちのトーベを拒むなんて!」と思い、信じられない気持ちになることでしょう。けれど、今も僕の研究室に残るスウェーデンのトールキン・ファンのための雑誌(同人誌だけれど、学術雑誌並みの高いレベル)にさえ、トーヴェ・ヤンソンのイラストに対しては厳しいくらい批判的な批評記事が掲載されているのです。  僕は、その非難は当時にあっては止む終えないものの、やはり焦点がずれていると考え、論考にまとめています。残念ながら、版権の事情で、予定していた多くの挿絵を記事から削除せざるを得なくなりましたが、それでも、挿絵の数葉は、これまでトーヴェ・ファンの目にとまることはほとんどなかったと思います。 トーヴェのファンの方々には、是非『ユリイカ』をお手にとっていただき、綺麗な白黒のイラストをご覧になって戴きたいです。

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