教員紹介

はやさか としひろ

早坂 俊廣

哲学・芸術論 教授

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中国関係

吉安と贛州

井岡山空港

今回の調査は、まず上海虹橋空港から江西井岡山空港へ飛び(9月8日)、吉安市と贛州市で陽明学関連の地点を見て回った後、高速鉄道(ただし「高鉄」ではなく「動車」)を使って贛州から厦門に移動しました(9月11日)。飛行機が曜日によって飛ぶ日と飛ばない日があったのと、中国の国内線は欠航が多いということで、安全策を取って厦門まで出ました(翌日、厦門から成田に飛んで帰国しました)。帰国してみると、南のほうから台風が迫ってきていたので、さほど「安全策」でもなかったわけですが、何はともあれ無事に調査旅行を終えることができました。

吉安・安福文廟

吉安でも贛州でも、学校を見て廻ることが多くなりました。かつての書院や講学処が後々にも教育施設として使われることが多いためです。前のブログで紹介した「白鷺洲中学/白鷺洲書院」がその典型例なのですが、建物ばかりか面影すら残っていないケースも多く、位置を確認してお終い、ということもしばしばありました。吉安市の安福では、安福中学(もと復古書院)、洲湖中学(もと復真書院)、贛州では贛州第一中学(もと陽明書院、濂渓書院)を見せていただきました。どこも、学校関係者の方が出てきて、色々と説明をしてくださいました。どうもありがとうございました。ただし、ブログ映えを意識して、写真は「安福文廟」を載せておきます。

贛州・通天巌

しばしば書いておりますように、吉安は二度目の訪問でしたが、贛州は初めてでした。正直に言えば、贛州行きには、少しびびっておりました。確かにここは、王陽明が講学活動を精力的に行った土地ではありますが、王陽明がなぜここに行くことになったかと言えば、暴乱を鎮圧するためです。数ヶ月前、贛州を調査地点に含めたい旨を、同行してもらう中国の若手研究者に伝えたところ、「昔は山賊がよく出たところですね」という返信が届きましたが、全く同じイメージを私も抱いていたのです。ところが、いざ行ってみると、とても素敵な場所で、すっかり魅了されてしまいました。聞いた話では、最近は、レアアースが採れるということで、経済的にも潤っているそうです。王陽明が講学を行い、彼の石刻も残っているという通天巌もよかったですが、貢江と章江とが合流して贛江となるさまを八境台から見下ろした時は最高の気分でした。

贛州・八境台から贛江を望む

贛州には、企業の経営者が復興させた「陽明書院」もあり、学術顧問をされている先生から様々な説明をしていただきました。「熱烈歓迎」の垂れ幕のもと、一挙手一投足をビデオやカメラで撮影されたのには照れましたが、名前の記帳を頼まれた時には、自らの乱筆を呪いました。大学で教職のために取った「書道」の授業で、同級生から大声で字を馬鹿にされた忌まわしい記憶がフラッシュバックいたしました。それはともかく、贛州駅での別れ際、現地の研究者に「贛州で王陽明関連の地点を見て廻ろうと思ったら十日は要るから、次はもっとゆっくり来なさい」と言われました。さすがに十日もかけるのは無理でしょうが、ぜひとも再訪したいところです。ちなみに、今回は行けませんでしたが、王陽明が「山中の賊を破るは易(やす)く、心中の賊を破るは難し」という有名な言葉を弟子に送ったのも、「山中の賊」が跋扈していたここ贛州の竜南という地からであったようです。最近、わが国の首相がこの言葉を所属政党の仕事始め式で引用したという話を朝日新聞「天声人語」で読みました。ぜひともこの言葉の意味を改めてかみしめていただけたら、と願ってやみません。ちなみに、王陽明には「知行合一」という言葉もあります。

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