教員紹介

もりやま しんや

護山 真也

哲学・芸術論 教授

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第17回 国際仏教学会(IABS)会議報告(3)

ホテル・レジーナ

 成田を発つときには、汗が噴き出るほどの暑さだったにもかかわらず、ウィーンは秋の涼しさを感じさせる気候でした。夜中に雨が降り続く日もありましたが、その雨もなんとなく優しく、傘をさす必要もありません。  さて、今回はウィーン大学が学会会場になっていたため、宿はできるだけその傍でと考え、ホテル・レジーナを予約しました。二つの尖塔をもつボティーフ教会の真横に位置しており、正面にはフロイト広場が広がっています。  部屋は、決して広いとは言えない大きさでしたが、バスタブがついていたのが幸いでした。時差ボケの頭を覚ますため、毎朝、湯船につかり、それから朝食をとる、というのが定番のスタイルになりました。ホテルの朝食は、ソーセージ、各種のハム、チーズ、パンなどを自由に取り分けるビュッフェ・スタイル。通勤するウィーンの人たちを眺めながら、のんびりとコーヒーを飲んでから、会場へ移動です。

ツヴェルフ・アポステル・ケラー

 Zwölf-Apostel Kellerは、伝統あるウィーンの酒場です。建物そのものも由緒があるらしく、はるか中世の時代から続いている地下の酒場。バロック式の概観は、1721年に作られたもの。  ここで、「アジアを横断するプラマーナ」パネルのミーティングを兼ねた食事会がありました。スポンサーは、東国大学のWoo先生の基金です。パネルのもう一人の企画者であるフランコ先生は、奥さんのプライゼンダンツ先生とともに来訪。途中で、やってきた音楽家の演奏にあわせて、ウィーナー・ワルツを披露されてました。写真にとれなかったのが残念です。  参加者それぞれの国の演奏がリクエストされたときは、大変でした。中国、台湾、韓国、日本、ポーランド、ドイツ、イスラエル、そしてアメリカです。これだけのバラエティをこなした音楽家二人に感謝。  ワインを炭酸水で割ったスプリッツァーを飲みながら、シュニッツェルをはじめとする料理を堪能しました。

フランコ先生の自宅にて

 会議中、エリ・フランコ先生、カリン・プライゼンダンツ先生のご自宅に招待されました。ウィーン中央駅の近くです。今回、久々にウィーンを訪れた人たちとの団欒の場として、お心遣いいただきました。  久間さんと一緒に、シュタインケルナー先生から貴重なお話しをうかがうことができたのは、忘れえません。『プラマーナ・ヴァールッティカ』第1章と自註(論理学に関する部分)の詳細な独訳注研究、シャーンタラクシタの『ヴァーダ・ニヤーヤ』注に関する写本研究など、次々と公刊されている先生が、今後、どのような出版を考えておられるのか(特に急逝したクラッサー先生に任せられていた『ヘートゥ・ビンドゥ』の仕事はどうされるのか)、ダルマキールティの年代論に関してはどのように考えておられるのか、等々。とりわけ、ダルマキールティの『プラマーナ・ヴァールッティカ』の完成度の高さを語られ、「弟子が彼の講義を筆記した結果、現行のテキストが生成した、ということは疑わしい」とコメントされていたのは、印象的でした。

クラッサー先生の仕事部屋

 木曜日の午後は、エクスカーションで、参加者はそれぞれの見学会に参加しています。私は、この時間を利用して、今年の3月に急逝されたヘルムート・クラッサー先生のゆかりの場所を訪問することにしました。  本当は、お墓詣りを考えていたのですが、先生のご遺志により、お墓はないということ。そこで、先生が最後を過ごされたオーストリア科学アカデミー・アジア文化・思想史研究所を訪問しました。  現在の研究所は、かつて私が住んでいたRochsgasseの近くにありました。閑静な住宅街の中に位置し、中庭が素敵な建物でした。ここで研究している渡辺俊和氏に案内してもらい、クラッサー先生の部屋を見学させてもらいました。最後の仕事で使われていた資料などがまとめられたラックや仕事机などを見て、先生の思い出がよみがえりました。先生のご冥福をあらためて、心より念じます。  最終日の前夜は、ウィーンの市長も挨拶に訪れた、盛大な夕食会がホイリゲ(Heuriger)「10番目のマリー」(10er Marie)で開催されました。ウィーンの西、オッタークリンクに位置し、1740年から続く、ウィーンで一番古いホイリゲ(ワイン酒場)です。会議参加者が一同に集まってるため、どこに誰がいるのか、およそ見当がつきませんが、わいわいがやがやと議論がつきない様子でした。

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