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もりやま しんや

護山 真也

哲学・芸術論 教授

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シリーズ大乗仏教 第9巻 認識論と論理学

 ブログ更新が遅れ、紹介も遅れましたが、2012年1月に『シリーズ大乗仏教 第九巻 認識論と論理学』(春秋社)が刊行されました。その内容は以下の通りです。 第一章 仏教論理学の構造とその意義(桂紹隆) 第二章 存在論―存在と因果(稲見正浩) 第三章 認識論―知覚の理論とその展開(船山徹) 第四章 論理学―法称の論理学(岩田孝) 第五章 真理論―プラマーナとは何か(小野基) 第六章 言語哲学―アポーハ論(片岡啓) 第七章 全知者証明・輪廻の証明(護山真也) 第八章 「刹那滅」論証―時間実体(タイム・サブスタンス)への挑戦(谷貞志)

ウィーン大学と仏教認識論・論理学研究

 その「はしがき」に桂氏が記した次の一節が、本書執筆陣の特色をよく表しています。 「仏教論理学研究の中心はウィーンである。二十世紀を代表するインド哲学者フラウワルナーは、仏教論理学の研究に多くの卓越した業績を残したが、その伝統を受け継いだシュタインケルナーは、ダルマキールティ研究を押し進めると同時に、世界中から集まる多くの後進を育成した。本巻の執筆者全員が何らかの形でウィーンに滞在し、彼の薫陶を受けたことがあるという事実は、ウィーン大学およびオーストリア科学アカデミーが斯学において果たして来た役割を如実に示すものである。」(はしがき)  本邦において、梶山雄一、戸崎宏正、服部正明、北川秀則等の研究者を仏教論理学研究の第一世代とするならば、上記の執筆陣は、第二世代、第三世代に属します。その第一世代、第二世代を中心に執筆された、『講座・大乗仏教 第九巻 認識論と論理学』から30年余の間に、この分野の研究は格段の進展を遂げました。その中心には間違いなく、ウィーン学派が位置しており、そこで確立された厳密な文献学的手法、思想史研究は、この分野の研究のスタンダードを形成しています。

ポスト・ウィーン時代の仏教認識論・論理学研究

 本巻所収の諸論文には、その手法を踏襲するこで生まれた、斬新な諸成果が織り込まれており、この分野の研究を志す初学者には有益です。ただし、これだけ密度の濃い論述だと、一般読者には相当、読みにくいでしょうね。その意味では、谷氏が執筆された最終章が異彩を放っており、ダルマキールティの「哲学」の醍醐味が凝縮されている感があります。例えば、その論理学について、谷氏は次のように述べています。 「論理が認識論から独立していない、ということは、その論理学が未発達の段階にとどまったことを意味しない。認識論から切り離された論理は、単なる記号ゲームに終始し、論理計算の演習問題の一例にすぎないものとなる。」(p. 279f.) 「いまや論理学に標準形はなく、特に意味論やプラグマティクスのレヴェルをもつ哲学的論理学は目覚ましい展開を遂げつつある。ここには論理と認識論を最後まで分離させなかったインドの認識論的論理学(プラマーナ)の視点から再考する必要があるようにおもわれる。」(p. 280f.)  本書により、ダルマキールティの思索のエッセンスは、様々な分野に開かれた形で提示されました。そこから新たな、緊張感を伴う「対話」が生まれることで、谷氏が提起したような論点が、広く一般に討議・検討される時代がやってくることでしょう。そして、そこからポスト・ウィーン時代の仏教論理学研究が新たにスタートすることになるのだと、私は思います。

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