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みたに なおずみ

三谷 尚澄

哲学・思想論講座 准教授

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『若者のための<死>の倫理学』

 先日発売になった拙著です(ナカニシヤ出版,2012年)。

 テーマは、「死」と「生きる意味の不在」。

 このテーマを論じるにあたって、わたしが冒頭で引いたのは、出口のみえないいじめに悩み、みずから命を絶つことを選んだ12歳の少女をめぐる一本の新聞記事。そして、本書の全体を通じて、この記事を目にしたとき、わたしが自分自身の心に問いかけずにはいられなかった、次のような問題が論じられています。(以下、本書「プロローグ」からの引用です。)

◆ ◆ ◆

 どうしようもない苦しみと絶望を抱えながら、大好きなお母さんに贈ろうと準備していた手編みのマフラーをカーテンレールにかけ、首にまわし、いままさに椅子から足を離そうとしているその瞬間の少女に向かって、自分ならどのような言葉をかけることができるだろうか。この問いをごまかしなく問いぬき、偽善にまぎれることのない誠実な言葉で考え通し、その上で、自分なりの精一杯の答えを与えてみるならそれはどのようなものになるだろうか。

 死んでは駄目だ。命というのは一度失われたら二度と戻らない、とても大切なものなのだから。たぶん、最初にわたしの口をついて出るのはそんな平凡で陳腐な言葉だろう。でも、どうして? 辛くて苦しいことばかりの毎日なのに、生きなければいけない、死なないでいなければいけない。そう言われることの理由はいったい何ですか? 少女にそう問い返されたら、わたしはどんな言葉を返すことができるだろうか。「生きていたってなんにもならない。毎日悲しい気持ちを抱えて泣いてばかりで、わたしなんて生まれてこなければよかったとしか思えない!」 だれよりも痛切に、どれほどの共感も届かない深い孤独の闇のなかで、一切のごまかしなく体全体から発される十二歳の少女の悲鳴に向かって、わたしにいったい何が言えるというのか。

 「生きていればそのうちいいことあるから」。そんな薄っぺらな気休めが何の足しにもならないことは、わたしにもよく分かっている。「いじめが終わっても、その先になにかいいことがあるとは思えないんです。一瞬だけよくなったって、また辛い毎日が戻ってくるだけでしょう? 生きるって、そんな「期待しては裏切られて、またもとに戻って」の繰り返しなんじゃないですか? そんな嫌なことが続くばかりだなんて、もううんざり!」 少女がそう切り返してきたら、彼女の言葉こそが真実を言い当てたものであることをわたしは認めざるをえないのではないか。

 どうせ苦しいことばかりの人生なのに、なぜ生きなければいけないのか。死なないでいる理由なんてあるのか。

 「死のうと思うほど辛いこともないから、とりあえず生きておこう。死ぬのはなんとなく怖いし、自分は破滅しない程度にはいろんなことを器用にやっていけるほうだから、まあ生きておこう」。正直なところをぶちまけてみれば、みんな根っこのところでは、その程度のあいまいな気持ちで生き続けているだけなのではないだろうか。そして、「誰も彼も、たまたま死ぬ理由がみつからないから惰性で生きている」だけであるのなら、「とくに死ぬ理由もないからなんとなく生きている」だけの人間が、「心の底から死にたいと思う理由」を抱え、苦しみのただなかで「いっそ死んでしまいたい」と嘘いつわりのない叫び声をあげる人間に、「苦しくても生きなければいけない」などとしたり顔の無根拠な言葉を押しつける資格などないのではないか――。

 本当のことを言うと、わたしが最初にたどりついた「少女に対するごまかしのない答え」は、そんな否定的なものだった。「死んではいけない」などという人たちだって、「なぜ生きなければいけないのか」、「生きることにどんな意味があるのか」なんて本当はわかっていないのだ。そして、みんなその背筋を凍らせるような不都合な真実から眼をそむけ、自分に嘘をついては「生きることには意味がある」かのように振舞っているだけなのではないか。それならば、「死んだほうがまし」、そう心の底から考え、みずから最後の決断を下した少女に対して、それ以上の地獄を押しつけることなどわたしたちにはできないのではないか。「君はよくがんばった。もう、なにもかもぜんぶ終わらせて、楽になってしまえばよいのだ。だれも、君を責めることなどできはしない」。わたしが彼女に届けることのできる唯一本当の言葉は、そのようなものでしかありえないのではないか――。そして、正直なところ、わたしはその否定的な答えを覆すだけの積極的な理由を、いまでも見出せないままでいる。

 でも、「本当に出口なし」なのだろうか。本当にそこで考えを止めてしまっていいのだろうか。そんな思いが、いまだにわたしのなかでくすぶり続けているということもまた事実である。「わたしたちが生きているのはたまたま死ぬ理由がないからにすぎない」。そんなあまりにも寂しい現実を突き破ることはできないのだろうか。「死んではいけない、とにかく生きるのだ」。確信をもって少女にそう伝え、「どうせつらいことばかりの毎日なのに生き続けなければいけない理由」を手渡すことは本当にできないのだろうか。答えのみつからないこの問いを相手に、一歩ずつ、ごまかしのない言葉で、自分なりに手応えある言葉を探りあてようと試みてみること。それが、この本の課題である。

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