Viva Venezia! ー あの愛おしいヴェネツィアでの日々のかけら
高橋 飛那乃さん
人文学部 人文学科
留学期間:2025年9月~2026年6月
留学先:ヴェネツィア・カ・フォスカリ大学
留学先大学について
私が渡航する当時は、信州大学の協定校の中でも、近年派遣実績が少なかったヴェネツィア・カ・フォスカリ大学ですが、「ここを選んでよかった」と心から思える素敵な留学生活を送ることができました。カ・フォスカリ大学は、特に外国語・文化研究の分野に強みがあり、イタリア国内でも有数の日本語学科が設置されている公立大学です。「水の都」として華やかなイメージを持ち、世界中から観光客が押し寄せるヴェネツィアですが、観光ルートから一歩離れると、地域の人たちの等身大の生活や、ヴェネツィアで暮らし、学ぶ大学生たちの日常があります。ヴェネツィア本島は千代田区の半分ほど(約5.17km²)とコンパクトで、その狭い地域の中に大学の校舎や施設が散らばっています。街は観光スポットと生活の場に分かれているようでいて、しかし溶け合っていました。小さな街だからこそ人との距離が近く、大学の枠を超えた様々な出会いに恵まれた環境でした。
学習面について
私は今回、信州大学の「計画的特例履修制度」を利用して留学しました。これは学費や在籍期間の工夫により単位互換の制約に縛られずに済む制度であったため、単位修得のためではなく、純粋に自分の知的好奇心と興味の赴くままに履修科目を選ぶことができました。特に、ゼミで専攻している認知心理学の視点や、「言語や言葉が持つメタファーと思考の関わり」という自身の卒論構想と接続させながら、異なる専門領域の学びを深く考察できたことが大きな収穫です。
正規学部科目では、英語で開講された言語学・語用論の授業を履修しました。さらに、以前から関心のあった「言語が人々の世界の見方にどう影響を与えるか」というテーマに対し、言語学の側面から新しい視点や理論的な裏付けを得ることができました。さらに日常生活で生じたコミュニケーションのズレを語用論的に分析・解消したり、日本語特有の表現を語用論的に捉え直したりと、学問と実践を行き来する学びが深まりました。また、文化人類学の授業も履修し、観光客向けに演出された「フロントステージ」と住民の「バックステージ」の構造を身をもって体感するなど、文化人類学者的な視点から街を見つめる面白さを知りました。
現地の日本語学科では会話クラスなどのサポートを行うインターンシップに参加し、日本語を学ぶ学生たちと深く交流しました。これにより、自国の文化を客観的な視点から再発見すると同時に、互いの文化の深さを理解することができました。
語学面においては、留学生向けのイタリア語授業を受講しました。単に言語を学ぶだけでなく、イタリアの地域ごとの様々な表現やよく使われる表現、それらの背景にある考え方を学び、文化理解をより深めることができました。
さらに、観光都市ならではの「Hospitality & Tourism」コースのように、通常は高額な学費がかかるクラスにも留学生として参加することが可能だったり、私は他の授業との兼ね合いで難しかったのですが、VIU(ヴェネツィア国際大学)のPBL(program based learning)やサマースクールにも参加できるので、本当に機会が開かれていると思います。

生活について
ヴェネツィアでの暮らしは、観光都市の華やかさと地域の人々の温かい日常が交差する、かけがえのない日々でした。生活を始めた当初は、迷路のように建物が立ち並ぶ細い道に翻弄されGoogle Mapsが手放せませんでしたが、次第に地図を閉じ、行き当たりばったりで歩く楽しみを得ました。ふと出会う活気あふれる広場や、陽光を反射して輝く運河のきらめき、ciao bella!と声をかけてくれるおじさん、そして、2月に行われるカーニバルの幻想的な風景など、街の至る所で日常のときめきを感じることができました。
そして最も印象的だったのは、エネルギッシュな学生生活です。現地での交友関係や共同生活も、私の留学生活を大きく彩ってくれました。渡航前は友人ができるか少し不安もありましたが、日本語インターンシップやbuddy制度などのおかげで、たくさんの素敵な出会いに恵まれました。Buddyに生活の相談に乗ってもらったり、大人数のアペリティーボ(食前酒を片手にお喋りするイタリアの最高な文化!)で一気に友達の輪を広げたり。帰国した今でも連絡を取り合っていたりするような、一生モノの深い関係になれた人たちにも出会うことができました。また、住まいでは台湾人のroomyと部屋をシェアしていて、就寝前に恋バナをしたりその日の出来事や旅行の思い出を英語で語り合ったりする時間が毎日の楽しみでした。
なにより素敵だなと思ったのは、街じゅうが歓喜に包まれるイタリアならではの卒業式文化です。卒業生たちは、月桂樹の葉で作られた冠を頭に乗せて、"Dottore, Dottore, Dottore del buco del cul, vaffancul, vaffancul..."という伝統的で下品なお祝いの歌を友人や家族と大声で歌いながら街を練り歩きます。ある初夏の夜、広場でイタリア特有の賑やかな卒業祝いの渦の中にいた時、一人の卒業生から写真を頼まれたのですが、撮影後、彼女は満面の笑みで「Buona fortuna per i tuoi studi!(勉強頑張ってね!)」と、自身の頭にあった月桂冠から葉を一枚ちぎって手渡してくれました。見知らぬ一留学生に過ぎない私が、彼女の人生の特別な節目に一瞬でも混ぜてもらえたこと、そして国境も文化も飛び越えて感情を分かち合えた―そんな温かくかけがえのない経験もできました。
私自身は日本語学科でのサポートインターンシップに注力し、現地学生との深い交流を軸に過ごしましたが、周囲の留学生たちは各自のスタイルで課外活動を楽しんでいました。例えば「ESUカード」を発行してヨーロッパからの留学生が集まるイベントに参加したり、クリスマスの時期に現地の家庭へホームステイするプログラムを利用する学生もいました。また、コミュニティを作ってリド島でビーチバレーを楽しんだり、図書館で子どもたちに日本の絵本を読み聞かせ、多様性や異文化理解を伝えるボランティアに参加したりする人もいました。一部の日本人留学生は「おむすび」というInstagramアカウントを作成し、日伊の交流イベントを企画・実施していました(次期生募集しています!)。

留学で得たこと
留学を通してしてきた経験から、日本で過ごしてきただけの「自分」以外の誰かの立場になることで、自分が思考する際の物差しを大きく拡張することができました。また、言語やその背景にある文化を学ぶ中で、今まで目を向けてこなかった価値観を学ぶことができました。
特に大きな収穫だったのは、現地の大学の授業で学んだ「フロントステージ/バックステージ」という文化人類学・観光学の概念を、ヴェネツィアという街で身をもって体感できたことです。観光都市ヴェネツィアで生活するうちに、観光客向けの「演出された顔(フロント)」と、地域住民の「等身大の暮らし(バック)」という二つの顔を持ち合わせていることに徐々に気が付くと思います。留学生という存在は、いつか去る「観光客」のような視点を拭いきれない一方で、どれほど現地に溶け込もうとしても真のイタリア人(italianissima)にはなれない、境界線上にいます。バックステージに入ることが嬉しく思える一方で、私が立ち入るとそこはフロントへと変わってしまうという葛藤がありました。「外から来た人間」としての暴力性と、「生活者」としての切実さを同時に抱えるポジションに立ったことで、私は単なるマス・ツーリストではなく、地域を深く理解しようとする文化人類学者的な視点を持つ大切さを学びました。とはいえ、慣れ親しんだ自文化という名の泡は簡単には壊れずに、己の文化を離れても自文化の快適さを求めてしまうことがあります。例えば、イタリア人は午後にカプチーノを飲まないけれど飲みたいという欲求や、髪は毎日洗う人はいないけど毎日洗いたいとか。この泡は私が生きてきた中で染みついた文化であるが故に異文化を理解することを助け、自分が外から来た人という事実を受け止め謙虚にいさせてくれると思っています。外の人間という暴力性を持ちながらも、留学生と言う生活者としての切実さを持ち合わせる、とても新鮮な経験をすることができました。
また、ずっと興味を持っていた言語についても、実感を伴う大きな発見がありました。言語学には「言葉がないと概念を認識できない」という説もありますが、現地で過ごす中で、言葉を持っていなくても確かに感じ取れる感情や現象があることを実感しました。また、イタリア語にはそんな心の動きや、日本では日常的に使わないような直接的で温かい表現が溢れており、「私も大事にしたい!」と胸が躍る瞬間に何度も出会うことができました。
後輩へのアドバイス
ヴェネツィアは小さな町ですが観光客がとても多く、店員さんが客に"amore"や"tesoro"(家族や恋人など親しい間柄の人に使う呼びかけ)と気さくに声をかけてくれるような、温かくフレンドリーな魅力に溢れています。そんな現地で過ごす中で、私は自分の中にある固定観念やステレオタイプに気づかされる出来事が何度もありました。みなさんも「イタリア人は情熱的だ」「イタリア人はジェスチャーが大きい」といったイメージを漠然と持っていませんか?私も最初は「イタリアでは客にもアモーレっていうんだ、素敵!」なんて、驚いていたのですが、実はこれは、他の地域ではあまり見られないヴェネツィアならではの文化だと知りました。渡航当初は無意識に「イタリア人は〜」と大きな主語で文化を理解しようとしていましたが、イタリアは1861年に統一したこともあり、街や地域ごとに言語の訛りや気質、食文化などの特徴が大きく異なります。ステレオタイプを通して特定の集団について広く共有されたイメージをつかむことができる一方で、そうした一括りの考え方が含む危うさにも気づかされました。ぜひイタリアのいろんな町や地域、そしてイタリアに留まらず他の国にも足を伸ばして、そして出会う目の前の個人と現象のその背景を見つめてみてほしいなと思います。また、「日本人」のルールを守るとか真面目というようなステレオタイプによってよい評価をしてもらうことがあったり、逆にNoと言えないというイメージから侮られることがあったり、自分がその文化の中で特別に意識しないほど当たり前に過ぎていた日々に意識を向けることもありました。
「井の中の蛙大海を知らず、されど空の青さを知る」ということわざもありますが、私にとって大海を知ることは、同時に、自分について知ることでもありました。
これから留学を考えている皆さんが、自分だけの素敵な出会いと学びに恵まれるよう、心より健闘をお祈りしています!
(もしヴェネツィアに留学するなら、aqua altaがあるのでぜひ長靴を持って行ってください!)
