信州大学法科大学院

信州にロースクールを

(1)2001(平成13)年 信州大学と長野県弁護士会との協力関係の構築
 信州大学法科大学院の設立運動を積極的に担ったのは、信州大学(主に、経済学部の法学系教員)と長野県弁護士会である。2001(平成13)年5月10日、当時の信州大学学長森本尚武氏らと当時の長野県弁護士会会長佐藤芳嗣氏らが法科大学院構想について協議をおこなった。これが、記録に残る両者の最初の接触である。
 6月12日に司法制度改革審議会の意見書が出され、そこには、法科大学院が2004(平成16)年に開設されるべきことが明記されていた。それを受けて、6月13日に県弁護士会と信州大学の2度目の協議、7月13日に3度目の協議があり、県弁護士会と信州大学が連携して法科大学院設置運動を積極的に進めていくことが決められている。
 この間、信州大学では、経済学部教授会および執行部において、法科大学院の構想について県弁護士会と協力していくことについて了承されている。また、県弁護士会の方でも、9月1日に長野県弁護士会の常議員会が開かれ、全会一致で「県内に法科大学院を設置する方向で信州大学と協議・協力する件」が可決されている。
 組織内部でのコンセンサスをえて、両者はさらに運動をすすめる。10月1日、信州大学学長と長野県弁護士会長が、「法科大学院設置に関する共同声明」を発表している。さらに、10月22日、会長として司法制度改革審議会の中心的役割を担った佐藤幸治氏を基調報告者とするシンポジウムを開催している。
 22日のシンポジウムのテーマは、「地域が参加する21世紀の司法制度 一長野県にロースクールを一」であった。シンポジウムの場に、信州大学は、「信州大学法科大学院構想(案)」を提示している。信濃毎日新聞の報道によると、当日は学生や市民ら約150人が参加した。
 11月9日、国会において司法制度改革推進法が制定され、法科大学院が2004 (平成16) 年に開設されることが正式に決まった。これを受けて、11月30日の信州大学と県弁護士会との6度目の協議において、設置推進のための支援団体を設立し、運動をさらに展開することが決定された。この団体が、「信州の司法制度懇談会」である。

(2)2002(平成14)年 信州の司法制度懇談会の活動
 2002(平成14)年1月17日に、長野県弁護士会と信州大学は、早稲田大学法学部の宮澤節生氏による「地域社会の司法ニーズとロースクール」 という講演会を開催する。講演会に続いて、「信州の司法制度懇談会」 の設立準備会が開かれた。そして、3月12日に、「平成16年度に信州大学経済学部への法科大学院の設置に向けた県内の協力、支援組織」として、「信州の司法制度懇談会」が正式に設立された。
 そこには、当時の国会議員、行政法律関係者、経営者団体代表、労働者団体代表などが名を連ねている。代表世話人には、佐藤弁護士が就任した。その後、法科大学院設置運動は、信州大学、長野県弁護士会、信州の司法制度懇談会の三者が担うことになる。
 懇談会、信州大学、県弁護士会は、5月17日、Mウィングにて、刑事事件の裁判劇「恋と炎のあるぷす放火殺人事件」を上演する。この劇の上演に合わせて、「長野県に法科大学院(ロースクール)を!」署名運動が開始される。この署名運動は、短期間であったにもかかわらず、じつに、約11万筆の署名をえたのである。2003(平成15)年1月22日、この署名運動に協力した松本広域連合の当時の松本市長と塩尻市長から、信州大学に署名が提出された。
 信州の司法制度懇談会の活動として、もう一つあげなければならないのは、県議会への請願である。信州の司法制度懇談会代表世話人、信州大学学長、長野県弁護士会会長による請願に対して、3月18日、長野県議会は、全会一致で「信州大学への法科大学院の設置に関する意見書」を可決し、議長名で衆議院議長、参議院議長、内閣総理大臣、法務大臣、文部科学大臣に送付したのである。

(3)2003(平成15)年~2004(平成16)年 設立に向けて
 このような信州での運動は、法科大学院設置への国の動きに連動したものであった。すなわち、2002 (平成14)年3月19日に閣議決定された「司法制度改革推進計画」には、「平成16年4月からの学生受入れ開始が可能になるよう、所要の措置を講じ」また、「法科大学院の設置認可及び第三者評価(適格認定)のための基準について、その内容を公表し、周知を図る」と規定されていた。「信州の司法制度懇談会」の設立がこの閣議決定の一週間前であることを考えるならば、信州での法科大学院設置運動は、国の動きをにらんで、それに効果的に対応するものだったといえるだろう。
 2002(平成14)年8月5日に中央教育審議会の「法科大学院の設置基準等について」という答申が出され、2003(平成15)年3月31日に、文部科学省令として専門職大学院設置基準が制定された。そのときには、すでに長野県議会の意見書は可決され、県民の署名は13万人に達している。信州大学と長野県弁護士会の思いは、長野県民を広く巻き込んで、信州大学に法科大学院を設立しようという社会運動として成長していたといえるだろう。
 このような県内での動きを武器に、信州大学は、法科大学院設置候補校として名乗りを上げることに成功していた。全国の法科大学院で作られる予定の法科大学院協会設立準備会には毎回参加しており、また、文部科学省からも問い合わせがきていた。
 ところで、2004(平成16)年4月に法科大学院がスタートするためには、2003(平成15)年度には準備が十分に整っていなければならない。しかし、申請の期限は6月末である。結論を述べるならば、信州大学は教員の確保(刑事訴訟法)が間に合わず、初年度の申請を断念することになる。6月26日、当時の学長、経済学部長、信州の司法制度懇談会の世話人、長野県弁護士会会長が、記者会見をおこない、設置申請を一年遅らせることを発表したのである。
 しかし、長野県弁護士会、信州大学、長野県民の明確な意思が示され、大学が弁護士会と共同で設置の意思を公にしながら計画を進めてきた以上、残った問題は法科大学院をはじめるための具体的な準備(教員の確保、実質的な運営のための具体的な計画)のみであったといえよう。そして、設置申請を一年遅らせることによって、準備に余裕ができた。7月1日に、信州大学にて、信州の司法制度懇談会総会が開かれている。また、9月20日、21日には、法科大学院教官就任予定者合同研修会が開かれている。また、10月8日、9日には、ハワイ大学ロースクールからフォスター教授を呼び、講演会を開いている。12月には、経済学部教授会で法科大学院の設置を決定している。2004(平成16)年3月には、長野県弁護士会が主催し、信州大学と信州の司法制度懇談会が後援する「ハワイ州陪審制度・ロースクール視察」を実施している。このように着々と準備が進められ、2004(平成16)年6月30日、信州大学は晴れて設置申請をおこなったのである。同日、記者会見と信州の司法制度懇談会の第3回総会が開かれた。総会において、当時の小宮山淳学長は、「信州大学として自信を持って設置申請ができるようになった」と述べた。
 10月8日に大学設置・学校法人審議会大学設置分科会による実地調査が行われ、11月22日に設置が認可されたという連絡が大学に入る。2001年5月から数えて、3年越しの努力が実った瞬間であった。

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