信州大学法科大学院

終わりに
 この「十二年史」は、信州大学法科大学院の歴史を記録することが目的であり、本格的な歴史的評価をしようとするものではない。
 ただ、2001年~2017年の歴史を振り返って次のように述べることは許されるだろう。信州大学法科大学院は、時代の流れに乗って設立され、時代の流れにしたがって廃止に至ったのである。決して成功したとはいえないが、かと言って、設立のプロセスから廃止に至る歴史的経緯をみるならば、やるべきではなかったともいえない。コスト・ベネフィットの問題はあるにせよ、少なくとも、長野県に根差す良質な法律家を多数輩出し、地域社会の法文化の充実に貢献したことは事実である。
 十二年史を閉じるにあたり、信州大学法科大学院の歴史的経験を踏まえ、いくつか問題として検討されるべきことを指摘しておく。
 まず、信州大学法科大学院に限定した問題を述べるならば、募集停止の後、2014(平成26)年司法試験において5名、2015(平成27)年の司法試験においては7名の合格者を出した。合格者数が増えたのは、カリキュラム改編および2年コースの導入の結果かもしれない。カリキュラム改編および2 年コースの導入という改革の結果が十分出る前に廃止になったのは、非常に残念であった。
 次に、法科大学院制度を構想するときに、その目的を司法試験合格のみに特化しすぎたのではないかという問題を指摘しておきたい。信州大学法科大学院の修了生の多くは公務員になっている。これも、地域の法文化の発展におおいに寄与しているのではないだろうか。また、民間企業への就職という道も、おおいに考えられるべきであったし、実績も生まれている。せっかく作った法科大学院を、さらに社会に根付かせる方向での進み方がなぜできなかったのか。これは、司法改革に対する大きな疑問として歴史的に検証されるべきだろう。
 最後に、法科大学院の特殊な性格を確認しておきたい。法科大学院は、司法制度改革という「国策」の一環だったのである。大学の存在意義は、本来、そのような「国策」とは別のところにある。法科大学院は、「国策」と大学の理念がマッチしたレアなケースだったのであり、大学の将来を見据えた改革をしていくとき、法科大学院の事例を一般化するならば、おそらく道を誤ることになるだろう。
 信州大学法科大学院の歴史はここで終わるが、地域社会の法文化に寄与するというその理念は、2016(平成28)年4月にスタートしている経法学部に受け継がれていくだろう。また、信州大学には法科大学院修了生が司法試験受験資格を失うまでケアする社会的責任が残っている。新設される法務学修生支援室と経法学部に移籍する旧法科大学院教員を中心に、長野県弁護士会とも協力しながら、1人でも多くの修了生が司法試験に合格するよう支援していきたい。

PAGE TOP