信州大学法科大学院

司法改革と法科大学院

 1990年代に、日本は「改革の時代」にはいる。最初に実現したのは、1994(平成6)年の「政治改革」であった。政治改革がめざした「政治のリーダーシップ」は1998(平成10)年の「中央省庁等改革基本法」を典型例とする行政改革を急ピッチで成し遂げ、同時に司法改革の推進力となったのである。
 司法改革を担ったのは、司法制度改革審議会である。1999(平成11)年に成立した司法制度改革審議会設置法2条は、司法制度改革審議会の役割をこう規定している。「二十一世紀の我が国社会において司法が果たすべき役割を明らかにし、国民がより利用しやすい司法制度の実現、国民の司法制度への関与、法曹の在り方とその機能の充実強化その他の司法制度の改革と基盤の整備に関し必要な基本的な施策について調査審議する」。ここに、国民が司法制度をより利用しやすくするために、国民自身が司法制度に関与し(裁判員制度)、また、国民の司法への参加を補助する「法曹」を充実強化する(法科大学院制度)という司法改革の二つの大きな制度改革のプランが、すでに示されている。
 司法制度改革審議会は、1999(平成11)年12月21日に「司法制度改革に向けて−論点整理−」を発表する。そこには、司法制度改革が「民法典の編さんから100年、日本国憲法制定から50年の今この時にあたって、司法に豊かな活力を吹き込むための根本的な制度改革」であり、また、「近代の幕開け以来、130年にわたってこの国が背負い続けてきた課題、すなわち、一国の法がこの国の血肉と化し、『この国のかたち』となるため」の改革であるとの認識が示されている。
 ところで、なぜ司法制度改革が必要なのであろうか。「論点整理」は、次のように述べる。「この国が豊かな創造性とエネルギーを取り戻すため」、「政治改革・行政改革・地方分権推進・規制緩和等の経済構造改革」がなされた。これらの改革によって、「国民一人ひとりが、統治客体意識から脱却し、自律的でかつ社会的責任を負った統治主体」となることがめざされている。しかし、そのような社会においては、ともすれば、国民の間でさまざまな紛争が起きる。その紛争を「公正かつ透明な法的ルールの下で適正かつ迅速に解決される仕組み」が整えられなければならない。また、政治改革・行政改革による「統治能力の資質の向上」が行き過ぎて基本的人権を損ねることのないようにしなければならない。そのために、司法の「制度的基盤の強化」と「人的基盤の強化」が喫緊の課題とされたのである。
 「論点整理」は、構造改革後に必要となる課題に対応するには、わが国の法曹人口が少なすぎると指摘する。しかし、問題は量だけではない。重要なのは、「21世紀の司法を支えるにふさわしい資質と能力(倫理面を含む)を備えた法曹をどのようにして養成するか」である。その役割を担うのに最も適しているのは大学であるとされた。こうして、「論点整理」は、次のように、法科大学院の設立を積極的に提言したのである。

   「法律家に対する教育の在り方が一国の法制度の根幹を形成する」といわれるように、古典的教養と現代社会に関する広い視野をもち、かつ、「国民の社会生活上の医師」たる専門的職業人としての自覚と資質を備えた人材を育成する上で、大学(大学院)に課された責務は重く、法曹養成のためのプロフェッショナルスクールの設置を含め、法学教育の在り方について抜本的な検討を加えるべきである。  

 2000(平成12)年11月20日、司法制度改革審議会は、「中間報告」を発表した。中間報告は、「『法科大学院』(仮称。以下同じ。)を含む法曹養成制度の整備の状況等を見定めながら、計画的にできるだけ早期に、年間3,000人程度の新規法曹の確保を目指す必要がある、との結論に達した」と明言し、「全国的な適正配置」、「実務との融合」、「他学部、他大学の出身者や社会人等の受入れ」など、法科大学院の「制度設計の基本的考え方」を示したのである。
 中間報告の発表によって、全国の法学系の大学は法科大学院の設置を模索するようになる。信州大学も、その多くの大学のうちの一つであったのである。

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