教員紹介

もりやま しんや

護山 真也

哲学・芸術論 教授

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国際ワークショップ「知覚の比較哲学」報告(2)

ワークショップ2日目(15日)

 図書館の開館時間10時に合わせて、仏教認識論のセッションからスタートしました。  最初の発表者は、タナカ・コージ氏(オーストラリラ国立大学)、パラコンシステント論理の研究で有名です。今回は「推論における知覚の役割――チャンドラキールティとダルマキールティ」(A Role of Perception in Inference-A Study of Candrakīrti and Dharmakīrti)と題して、推論(reasoning)の規範性を、それ自体では規範的ではない論理(logic)へと架橋するにはどうすればよいか、が論題です。  ダルマキールティの場合には、推論に規範性を与える最終的な根拠は、〈本性上の必然的連関〉(svabhāvapratibandha)に求められますが、それは(一部では)知覚による正当化(justification)を要求します。質疑応答では、このように理解された場合のダルマキールティの認識論はクワインの〈自然化された認識論〉とつながるのではないか、という点が指摘されていました。  続くパトリック・マカリスター氏(ハイデルベルク大学)の発表でも、知覚と推論との関連が問題とされました。セラーズやブランダムといった現代の哲学者たちの議論の紹介に続き、「そもそも、推論がなければ知覚は行為を発動させない。同様に、知覚をぬきにして推論はない、と説明された」というプラジュニャーカラグプタの言明が検討されました。  この「推論がなければ」のところをどう解釈するのか、は面白いところです。解釈次第では、カントの著名な「概念なき直観は盲目であり、直観かい概念は空虚である」というテーゼに近づくでしょう。

 昼食休憩を挟み、午後の最初は私の発表、「ダルマキールティの錯誤知分析に対する比較哲学的アプローチ」(A Comparative Philosophical Approach to Dharmakīrti’s Analysis of Perceptual Error)から開始。邦訳もあるW・フィッシュ『知覚の哲学入門』(Philosophy of Perception: A Contemporary Introduction)を参考にしながら、現代の知覚の理論を整理するための三つの原理――共通要素原理、現象原理、表象原理――をダルマキールティの知覚論に適用したらどうなるのか、という試みです。  最初の二つの原理については、ダルマキールティが用いる錯覚論法(PV III 402-406)と自己認識(svasaṃvedana)の理論との比較が有効です。問題は表象原理ですが、これと関連づけるために「知覚とは概念的構想を離れたものである」という仏教の定義がどの程度まで妥当するのか、その点をダルマキールティの錯誤知論から考察しました(なお、質疑応答で正された通り、表象原理と錯誤知論とを関連づけることには問題があります)。  つまり、知覚経験に概念的内容がそなわることで、その知覚判断の妥当性を確認することができるわけですが、知覚に概念的内容が伴わないとすれば、そもそもその経験の真偽を問うことができないはずです。にもかかわらず、ダルマキールティは概念的内容を伴わない知覚にも真正なものと虚偽なるもの(=ティミラ眼病者に映じる髪毛の塊などの虚像の知覚)があることを認めます。このことをどう考えればよいのか、最後はエナクティブ・アプローチにも言及しましたが、これはまだ着想の段階にすぎません。  続く三谷尚澄氏(信州大学)の発表は、「知覚の哲学的文法について――セラーズ的アプローチ」(On the Philosophical Grammar of Perception: A Sellarsian Approach)。「富士山が見える」等の日常的な「見える」の文を詳細に分析しながら、セラーズの「主体なき生起」(subjectless occuring)という考え方、さらに西田幾多郎の場所の論理まで、広範なテーマを凝縮した密度の濃い内容でした。質疑応答では、インド文法学の議論とも比較可能であろう、という視点も提示されています。

 藤川直也氏(首都大学東京)は、「非存在対象を見ることとしての幻覚」(Hallucination as Seeing Nonexistent Objects)と題する発表で、幻覚論法と呼ばれる議論には非存在対象を認めるマイノング主義の立場からは欠点があること、つまり、非存在対象を認めた上で幻覚対象の性質とその現象的性格を説明づけることができること、ただしここからは幾つかの深刻な問題が帰結すること(因果効力をもたない非存在対象が時間・空間上に位置を占めることができるのか等)が指摘されました。  最後は西村正秀氏(滋賀大学)による「知覚経験における時間的非連続性」(The Temporal Discontinuity of Perceptual Experience)と題する発表では、知覚経験の時間についての三説――シネマ的モデル、把持モデル、延長モデル――が示され、把持モデル(retentional model)を擁護する議論が展開されました。この議論の中で、知覚の概念主義、非概念主義についても説明が加えられ、それぞれについて状態(state)と内容(content)で分けた場合、「知覚内容は非概念的であるが、知覚状態は概念的である」とする立場が可能となること等が説明されました。  これまた短時間の中に貴重な情報と考察が凝縮されており、あらためてお話をうかがう機会をもちたいものです。ダルマキールティにとってもsa-ra/ra-saなどの音がどのような順序で把握され、異なる意味理解を生むのか、という聴覚経験と時間性(刹那性)は大きな問題でしたが、それも今後の重要なテーマになりそうです。

 以上の発表を終え、吉水千鶴子先生(筑波大学)に司会をいただいて、全体でのまとめの討論が行われました。  最後は桂紹隆先生に登壇いただき、知覚の比較哲学におけるB・K・マティラルの業績、また最近のC・コセルの業績に触れながら、哲学・文献学・思想史研究などが横断するテーマ型の複合研究の重要性についてご指摘いただきました。  有益な二日間の議論だったと思います。ご参加いただいた皆さんにあらためて感謝です。この企画が、知覚の理論に関心のある研究者間のネットワーク構築につながることを密かに期待しています。

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