教員紹介

もりやま しんや

護山 真也

哲学・芸術論 教授

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第17回 国際仏教学会(IABS)会議報告(1) 

ウィーン大学

フロイト公園にて、藤井淳氏と

 2014年8月18日より23日まで、ウィーン大学にて、第17回国際仏教学会(IABS)会議が開催されました。アトランタ(2008)、台湾(2011)に続いて、今回はヨーロッパでの開催。  ウィーン大学は、インド哲学・仏教学の権威であるErich Frauwallner先生, Ernst Steinkellner先生が教鞭をとった大学として知られ、現在はKaus-Dieter Mathes先生がチベット学研究所の主任をされています。  日本との学術交流も盛んで、オーストリア科学アカデミー・アジア文化研究所では現在、赤羽律、渡辺俊和両氏が在籍し、それぞれのプロジェクトを遂行されています。今回、会議に参加した日本人研究者の中には、私も含めて、かつてのウィーンでの研究生活を思い出し、感慨にふける方も多かったのではないでしょうか。

レセプション

レセプションの風景

 会議のOpening SessionとWelcome Receptionが開かれたのは、伝統あるウィーン大学本館。ウィーン大学は、1365年に創設され、ドイツ語圏では最古の大学として知られています。来年は創立650年を迎え、様々なイベントが予定されているようです。ウィーンの観光名所の一つに数えられる大学本館は、1884年に建築されたもの。その中庭が、レセプションの会場となり、世界各国から集まった500名以上の研究者たちが、互いに挨拶を交わし、ワインやビールを手に語り合っていました。  以下、19日からの会議の中で、印象的だった発表やパネルを中心に、簡単なメモを残しておきたいと思います。なにしろ、35のパネル、25の部会(Section)が用意されているわけですから、すべてを聴講することはできません。同じ時間帯に、興味のある発表が二つも三つも重なることもしばしば。プログラムを片手に、部屋から部屋へと渡り歩く毎日です。

19日(火曜日)

パネルの風景

 実質上の初日にあたる火曜日は、三重大学の久間泰賢氏が中心となったパネル「後期インド仏教史の再構築(II):顕密両教の関係について」、そして「仏教認識論・論理学」部会を中心に聴講しました。  久間氏のパネルでは、ヴィクラマシーラ寺院を中心としてインド仏教最後期を飾った重要な仏教の思想家たちが、いわゆる中観派・瑜伽行派等の顕教と密教との関係をどう捉えていたのか、が集中的に論じられます。  久間氏は、ジュニャーナシュリーミトラの著作、また、ジュニャーナシュリーに帰せされる密教文献から、その中観派の位置づけをめぐる問題を指摘されていました。種村隆元氏は、アバヤーカラグプタの密教文献の中で引用される『ウダーナ・ヴァルガ』の偈とその解釈の伝統について、また、苫米地等流氏は、バヴィヤキールティの『プラディーパ・ウッディヨータナ』復注に登場するプラマーナ論――密教的な瞑想はいかなるプラマーナによりその妥当性が証明され、実現されるのか――について発表されました。  アトランタのエモリー大学からの二人の若手研究者、A. Yiannopoulos, D. McNamaraの両氏は、ラトナーカラシャーンティの中観理解についての発表を行いました。残念ながらMcNamara氏の発表は聞けなかったのですが、Yiannopoulos氏の発表は、ラトナーカラシャーンティの認識論を理解する上での鍵概念であるprakāśa/luminosity をめぐる、興味深いものでした。  一方、「仏教認識論・論理学」部会では、Choi, Kyeong-jin氏が、チベット仏教カダム派の中心人物チャパ(Phya pa)による『プラマーナ・ヴィニシュチャヤ』の刹那滅論の構成理解と現代の研究者シュタインケルナー教授の理解との比較を披露。当のシュタインケルナー先生からは、「私のような現代の研究者が、偉大な仏教学者チャパ(12世紀)と比較の対象として引き合いに出されるとは、なかなか得難い経験だ」という印象深いコメントが返されました。  石田尚敬氏の発表は、ダルモーッタラの『アポーハ論』を中心に、その概念知の解釈に関するもの。日本印度学仏教学会での発表とほぼ同じ内容だったと思います。  片岡啓氏は、8月初旬に龍谷大学で開催されたアポーハ論ワークショップでの内容を受ける形で、従来の研究の難点を指摘しつつ、ある意味、最もシンプルな形でのディグナーガのアポーハ論理解を示されました。ダルマキールティや、後代の解釈、哲学的解釈によらずに、ディグナーガのテキストそのものから実証的に言えるのは、このあたりが限界なのかもしれません。発表の要であるadarśanamātraに質問が集中していました。  本年3月に急逝されたヘルムート・クラッサー(Helmut Krasser)先生の最後の学生、パトリック・マッカリスター(Patrick Mc Allister)氏は、現在、ハイデルベルク大学の研究員です。ラトナキールティのアポーハ論や多様不二論を研究していたはずですが、今回のテーマは、プラジュニャーカラグプタによる二種の認識対象と認識手段の関係についてでした。ダルマキールティにより唯一の認識対象として定義されるsvalakṣaṇaをプラジュニャーカラグプタはいかように理解したのか、という問題。これは、かつて稲見正浩先生(東京学芸大学)のところで扱った問題とも重なります。西欧に、プラジュニャーカラグプタ研究者が誕生したことは、嬉しい限りです。

20日(水曜日)

会場ロビー

 二日目は、チューリッヒ大学のシュタインネック先生等が中心となったパネル「仏教レトリック」、そして「仏教認識論・論理学」部会を中心に聴講しました。  後にシュタインネック先生に聞いたところでは、もともと道元のテキストをどう理解するか、というところからスタートしたのが、「仏教レトリック」のパネルとのこと。結果、ここには、多士済済、様々な研究者が集まっていました。陀羅尼の研究者からは、仏教(経典)にはエートス、パトスはあっても、ロゴスはない、という指摘があるかと思えば、仏教認識論の研究者はから、「合理性」という観点からレトリックを考えよう、という指摘があったり、といった具合です。  サラ・マクリントック氏(Sara McClintock)は、シャーンタラクシタ/カマラシーラ師弟の『真実綱要』とその『細注』から、様々なレベルの人たちとの対話を主眼とする、このテキストの中では、論理に通じた人たち、すなわち、熟慮を前提にして行為を開始する人たちに対するレトリックが見出されることを指摘します。シャーンティデーヴァの『入菩提行論』の偈と、カマラシーラの類似の議論から、論理的思考が、片方では自身の瞑想を準備するための働きをする一方で、他方では、対論者となる聴衆(actual audience)との論争の中で、他者を説得するために機能するものである、という点はなるほどと納得できるものでした。なお、その際、『真実綱要』に出るtattvatasという語を、カマラシーラがnyāyatasと注釈している、という指摘は、よく見直すべきポイントでしょう。  まさに、マクリントック氏が著書で展開したrhetoric of reasonについて、ヴァンサン・エルチンガー氏(Vincent Eltshinger)は、アシュヴァゴーシャ(馬鳴)のテキスト等を精査しながら、〈吟味〉(parīkṣā)という概念が、論争の場面で、また、修道論の場面で登場することを論じました。またそこでは、この概念が後に認識論的な場面でプラマーナとして理解されるに至る背景が、丹念に描き出されました。  「仏教認識論・論理学」部会では、クリスティーナ・ペキア氏(Cristina, Pecchia)が、同じくabhyāsaという概念に注目しながら、ダルマキールティにおける瞑想の問題を扱っています。また、酒井真道氏は、アルチャタの刹那滅論を丹念に解読してゆきながら、彼が内遍充論者と呼ばれるに相応しい考え方をもっていたことを論じました。佐々木亮氏は、ニヤーヤ学派のバッタ・ジャヤンタの議論を参考にしながら、ダルマキールティの『論争の規則』(Vādanyāya)における〈敗北の立場〉の諸解釈のうち、どの点が後代のニヤーヤ学派に受けいれられたのか、を詳細にまとめました。  午後に行われた部会では、渡辺俊和氏が、サーンキヤ学派の見解に対する仏教側からの批判に関する諸資料(清弁、護法のテキストを含む)をまとめた上で、彼らの議論がダルマキールティの議論とどの程度、類似し、どの程度、異なるのか、を明確にしてくれました。この考察を踏まえて、渡辺氏は、クラッサーにより提示された年代論(法称に清弁が先立つ)に疑義を示し、従来通り、清弁・護法がダルマキールティに先立つ可能性を示されました。今回のIABSにおいて、最も刺激に満ちた発表だったと思います。  渡辺氏の後には、アレックス・ワトソン(Alex, Watson)が登壇し、アートマンを認め、マナスの遍在性を認めるニヤーヤ学派と、アートマンの存在を認めない仏教との間で、果たしてattentionという作用――行為開始に必要不可欠なもの――はどのように理解されるべきなのか、その哲学的な問題を論じていました。

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