教員紹介

もりやま しんや

護山 真也

哲学・芸術論 教授

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ダライ・ラマ法王Teaching 2010 in 広島

題目:「輪廻と業果:過去・現在・未来と「私」を見つめる」

 

日時:2010年11月11日 

 

会場:広島市文化交流会館大ホール


 ダライ・ラマ14世の法話会を聴講しました。エントランスに入りきれないほどの多くの参加者が詰めかけた法話会で、広島の人々へ、日本の人々へ向けてダライ・ラマは次のようなメッセージを送りました。私なりの要約ですので、多くの誤解があると思います。ご寛恕ください。講演の詳細は文殊師利大乗仏教会のウェブサイトhttp://www.mmba.jp/でご確認を。

 

 

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 私はいつも、「全ての人々は苦しみを除き幸福を求めるという点で共通する。ではどうすれば苦しみを除き幸福を得ることができるのか」というテーマを語っています。

 

 幸福は物質的なものに基づくものと、心に基づくものがあります。このうち、物質的なものに基づく幸福だけでは、ひとは本当の幸福にいたることはできません。どれほど物質文明が進歩しても、心の平安が得られなければ苦しみはなくなることはないのです。

 

 心の平安を得るためには、心のあり方を変えなければなりません。人間は知性をもち、過去を記憶し、未来を予測することができます。では、どうしたら未来の幸福を得ることができるのか。

 

 心の平安を得るために、宗教はあります。宗教には、創造主を前提とするものと、創造主を前提としないものがあります。仏教は後者に属します。仏教は創造主を前提とせず、あらゆる物事は縁起にもとづくことを説いたものです。

 

 確かに今では、この二つの宗教以外にも、まったく宗教を信じない人々も存在します。宗教を信じるかどうかは個人の問題です。宗教を信じていても、信じていなくても、共通して、〈憐み〉の心をもつことが大事だと私は考えます。むしろ現代では、無宗教の人々が〈憐み〉の心に目覚めることがより大切なことかもしれません。

 

 私たちは誰でも母親から生まれ、生まれたその瞬間には、母親の大きな愛に包まれていたはずです。その母の優しさを思い、宗教を信じていなくても、〈憐み〉の心を育てること。このことが身体の健康にも寄与し、そしてさらに心の健康にもつながることを、アメリカの大学で行われている研究が明らかにしつつあります。

 

 では、仏教ではこのことはどう教えられるのでしょうか。仏教はパーリ語聖典に基づくもの、大乗仏教の教え、密教の教えと分かれているかのように思われますが、実は、それらは大きな一つの建造物のようなものです。どの教義が優れているか、ということではなく、いずれかがいずれかの基礎となり、仏塔のようにそびえたつものです。

 

 パーリ語聖典に基づく仏教では、四聖諦が教えられます。苦しみの真理、苦しみの原因の真理、苦しみを滅した状態の真理、苦しみを滅する方法の真理です。

 

 苦しみとは何か。ブッダは三種類の苦しみがあると説きました。一つは、苦苦。動物にも共通する肉体的な苦痛のことです。二つ目は、壊苦。あらゆるものは変化し壊れてゆく。そのために受ける苦しみです。そして最後は、行苦。私たちを構成する五つの要素、その存在がそのまま苦しみになるということです。

 

 これら三種類の苦の原因となるもの、それは欲望、怒り、無知という三種類の心の状態にあります。このうち、無知とは、本来の姿を間違って捉えることです。不浄のものを「浄」と思い、苦を「楽」と思い、無常のものを「常」と思い、無我なるものを「我」と思う。その思い違いの心です。また逆に、本来清浄なものをそのように思えない心でもあります。

 

 この苦の原因を滅した状態が「滅」ですが、これに至る「道」として戒律を守ること、精神集中を行うこと、そして智慧を実践することが説かれました。

 

 この智慧の実践とは、「無我」の実践、「空」の実践ということですが、この「空」の教えは虚無論として誤解されることがしばしばあります。

 そこでブッダは、段階的に、パーリ語聖典で「無我」を説き、大乗の『般若経』で「空」を説き、最後に『解深密教』で「三性説」を説きました。三性説を説くことで、空を虚無論として捉える誤解を除き、さらに心の本来的な姿は清浄なものであることを明らかにしたのです。

 

 仏教論理学者ダルマキールティは、「輪廻する(五つの)構成要素は苦である。(前世からの)習慣化のために欲望などが激しくなることが見られるからである。(そのようなことが)偶然的におきるはずがない。〈原因がないこと〉は〈(何かが)生じること〉と矛盾しているのだから」(PV II 146cd-147ab)と説いています。

 

 つまり、輪廻と解脱の教説には一貫して縁起の思想、因果律の考えが流れているのです。私たちは、意識の流れと肉体を形成する物質の流れで構成される連続体です。意識と肉体とは相互に因果関係を結び、また、それぞれはその原因となる質料因の結果として存在します。肉体が構成される因果をたどっていけば、宇宙の誕生であるビッグバンにまで行き着くでしょうが、ビックバンを生み出したエネルギー、そしてさらにその先へと因果は続きます。

 

 意識も同じように因果で結ばれた連続体であることを知れば、輪廻があることになります。そして、輪廻の苦から出離したいという心をおこすこと、これが菩提心です。菩提心を起こし、長い時間をかけて戒律の順守・精神集中・知恵の実践という「三学」を行うことで解脱が得られます。

 

 日本には、パーリ語聖典の教えもあれば、大乗仏教の教えもあり、密教の教えもあります。皆さんは、ここで仏教のすべてを学ぶことができるのです。それらはばらばらのものではなく、統一体であることを知り、その教えを長い時間をかけて実践していってもらいたいと思います。

 

 

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 これに続いて質疑応答がありましたが、印象深い質問として「私の子供は生まれたときから知能障害を抱え、これまで子供も親も苦しみを受けてきました。これは前世の因縁なのでしょうか。仏教は、この苦しみをどう取り除いてくれるのでしょうか」という趣旨のものがありました。

 

 ダライ・ラマは、この質問者に深い同情の念を表明しつつも、次のような言葉を返しました。

 

「あなたは自分が受けてきた深い苦しみにより、他の多くの人々の苦しみを想像することができるはずです。戦争や飢餓で苦しむ多くの人々のことを思いやることができるはずです。その慈しみの心をもつことが、あなた自身の苦しみを軽減することにつながるでしょう。」

 

 苦悩が深ければ深いほど、慈悲の心もまた深くならなければならない。どうでしょうか。私は、このメッセージに心を打たれました。さすがはダライ・ラマです。

質疑応答

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