教員紹介

もりやま しんや

護山 真也

哲学・芸術論 教授

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第55回日本西蔵学会に参加して

 10月27日(土)、大谷大学(京都)で開催された日本西蔵学会に参加してきました。

 

 自分の研究との関連で、次の三つの発表がとりわけ印象的だったので、簡単にメモを残しておきます。

 

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安間剛志(京都大学大学院)「BhavivekaとTarkajvala」


 『中観心論』の作者として知られるバーヴィヴェーカ、その注釈『思択 炎』は自注として伝承されるものの、これまでそれが『心論』と同一作者の手によるものか否かが疑問視されてきました。安田氏は、このTJ作者問題の背景を丁寧に概略した上で、同一作者説の可能性を論じています。

 故江島恵教先生が、『中観心論』講読の際、この問題の微妙さを強調されていたことを思い出しながら拝聴。作者問題を、思想内容の差から考えていこうという姿勢に共感しつつ、問題解決までの道のりの遠さをあらためて実感した次第です。

 

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根本裕史(広島大学大学院):「チベット中観思想における時間論の展開―「刹那」の概念を中心にー」

 

 ツォンカパ・ロサンタクパの時間論について研究を重ねてきた根本氏による、ツォンカパ以前のチベット仏教における「時間」、特にその最少単位となる「刹 那」理解に関する発表。

 最近、ようやく資料が整いはじめたチャパ・チューキセンゲの〈刹那の分割可能性〉証明と、サキャパンディタによる〈刹那の無部分 性〉論との関連性が、興味深いものでした。

 

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村上徳樹(東京大学大学院)「rang rigに関するケードゥプジェの解釈」


 ダルマキールティの自己認識論において、とりわけ問題となるのが〈外界の対象を認めた場合の自己認識〉です。この自己認識に関して、ゲルク派の学僧ケードゥプジェは、「知自身と一体となっている客体の認識」とする解釈を立て、唯識的「自己認識」との 差別化を狙っているようです。

 村上氏はこのケードゥプの理解の根拠を、ダルモーッタラの記述に跡づけ、インド・チベットに跨る、自己認識論(解釈)のアポリアを浮かび上がらせてくれました。インド仏教の文脈において、同一の問題を追及している私にとっては、きわめて刺激的な発表でした。

 

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