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いいおか しろう

飯岡 詩朗

英米文学 准教授

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ゼミ活動 授業関連 英米映像文化演習(2007-)

失われた映画館を求めて(映画ゼミ研修旅行報告)

本場のアカデミー賞での『おくりびと』の外国語映画賞の受賞で浮かれ騒いでいる日本の映画界ですが、(DVD販売やTV放映、ネット配信などのコンテンツ・ビジネスはさておき)日本における映画上映をめぐる状況が好転したかというとそういうことはなく、とりわけ地方では、歴史ある映画館の閉館が続いています。

 

信州大学人文学のキャンパスのある松本市でも、昨年、10月24日にテアトル銀映(松本市城東)、そして11月14日に上土シネマ(松本市大手)と半世紀以上の歴史のある映画館が相次いで閉館しました。(ともに、館名の変更や経営者の交代はあるものの。)

 

 

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物心ついた頃から家にビデオがあったいまの大学生は言うに及ばず、大都市(とくに東京)を除いては、いまや世代を超えて「映画館で映画を見る」というかつては当たり前におこなわれていたことが、なんら当たり前ではない時代になってしまったのです。

 

そうした時代において、「映画館とは何か(何であったか)」(同時に「映画とは何か(何であったか)」)ということを、今年度は、占領期の日本におけるアメリカ映画の受容に関する授業を通して、また、2008年10月発行の『長野』(長野郷土史研究会)に発表した論文「占領期長野市におけるアメリカ映画の上映 市営中央映画劇場をめぐって」の執筆をとおして考えてきましたが、自分の身近にいる映画ゼミ(英米映像文化演習)の学生にすらも、「映画館で映画を見る」ということから遠ざかっているというのは、授業で主に扱っている古典期のハリウッド映画を映画館で見るということは松本においてはほぼ不可能であるし、分析するにはデスクトップで一時停止したりしながらの方が見やすいのはたしかであるので致し方ない面はありつつも、やはり嘆かわしい事態ではあり、その事態をなんとか打開するためのこころみの1つとして、昨年度から「映画館で映画を見る」ことが当たり前におこなわれていた時代に思いを馳せながら、映画館と街を考えるフィールドワークを昨年度からはじめました。

 

もちろん、直接的には、同じ人文学部の教員で日本現代史を専門とする大串潤児さんの日本近現代史ゼミでのフィールドワークに触発されてのものだったのですが、昨年度は松本市で、今年度は長野市でフィールドワークを行いました。案内は、日本近現代史ゼミのフィールドワークと同じく、長野郷土史研究会の小林竜太郎さんにお願いしました。 フィールドワークが行われた12月6日(土)当日は、映画ゼミの学生に加え長野郷土史研究会の会員も数名加わり総勢でおよそ20名で長野の街を歩き回りました。以下は、その報告です。(なお、写真は、特記のないものはすべて飯岡が撮影したものです。)

 

* * *


長野市在住の学生等をのぞき、9:15に松本駅に集合し、電車で長野に向かいました。集合時間を朝早くに設定したのは、フィールドワークのあとに、全員そろって「映画館で映画を見る」ためです。

 

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長野駅到着後、案内をしてくれる小林さん、小林さんのお仲間の郷土史研究会の会員の方々、現地集合の学生と合流し、まずは、小林さんから資料の配布と、簡単な説明がありました。

 

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いよいよ駅前を出発です。善光寺の表参道の方ではなく、右に折れ狭い路地裏に向かいます。空は曇りがちです。

 

 

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駅前から徒歩でほんの1〜2分、居酒屋や喫茶店が肩を寄せる路地裏に最初の映画館、千石劇場がありました。[撮影:高山華さん]

 

 

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はじめて目にする学生からは「こんなところに映画館が......」との声が。小林さんが千石劇場の歴史を解説してもらいます。

 

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見上げた狭い空には電線が四方八方に走っています。青空が少しずつ見えてきました。[撮影:高山華さん]

 

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いったん表参道の方に抜け、長野日活活動館のあった場所を望みながら善光寺方面に進んで行くと、かつては賑やかだった長野オリンピックの表彰式の会場が見えてきました。今では薄汚れ、時間貸しの駐車場に変わってしまっています。学生からは「哀しい......」との声も。

 

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青空が出てきても真冬に変わりはなく、じゅうぶんに寒さ対策をしての街歩きです。[撮影:高山華さん]

 

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表彰式の会場跡の手前の路地を右に進むと、夜にはネオン輝く長野市一の歓楽街に抜け、左に少し進むと、だだっ広い空き地が見えてきました。2006年8月に閉館した長野東映劇場の跡です。小林さんからは650の客席を持つ大劇場だったとの解説が。長野市出身の学生からは「いつの間に......」との声が漏れていました。(閉館直前の様子は長野郷土史研究会幹事・小林玲子さんのブログを参照)

 

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次に私が論文でも扱った長野東宝中劇(旧市営中央映画劇場)に向かいます。かつては賑わっていたという中劇通りに軒を連ねるパブやスナックは、閉じた店が多いようで、通りの左側も......[撮影:高山華さん]

 

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......右側も、荒れ果て、明るい陽の光が物悲しさをかえって際立たせていました。

 

 

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長野市やその近郊出身の学生たちは口々にドラえもんはここに見に来ていたと、語り、いまはすっかり寂れた中劇通りに列を作った子供時代思いを馳せていました。[撮影:高山華さん]

 

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2007年4月に閉館した中劇のチケット売り場はベニヤ板で閉ざされ、その上からなぜか自民党県連主催のポスターが貼られていました。(閉館直前の様子は、やはり小林玲子さんのブログを参照。)[撮影:高山華さん]

 

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次に、長野大通りに抜け、2006年開館の長野グランドシネマズに向かいました。都市型のシネマコンプレックスの広々としたロビーで一休みです。

 

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最後に権堂アーケード通りをとおり向かったのが現存する最古の木造映画館とも言われる長野松竹相生座/長野ロキシーです。昔の名残を残すモダンなファサード(正面の外観)はレンガ色の板で覆われ、残念ながら上の部分しか見ることができません。

 

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小林さんに相生座がいかに重要な映画館であるか解説があり、その後、短い時間でしたが、相生座の方からもお話をお聞きすることができました。中央奥でカメラを構えているのは記者の方で、この日のフィールドワークを取材に来られていました。(いわば、ショット......)

 

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後日、『長野市民新聞』(12月11日)に記事が掲載されました。(......リヴァース・ショット)

 

 

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街歩きは相生座/ロキシーをゴールに終了し、小林さんほか長野郷土史研究会会員の方々も一緒に、お昼ご飯を食べに行きました。お店は、長野市在住の山田理乃さんがアレンジしてくれたエスニック料理店です。辛い料理で冷えた身体が温まります。

 

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おのおのが好きなランチセットを頼み、おしゃべりをしながら、楽しく食事をしました。その間に相生座/ロキシーで何を見るか最終確認です。もともとは、ちょうど特集上映をしていたアメリカン・ニュー・シネマを見る予定でしたが、上映時間の急な変更で、選択肢は『おくりびと』と『歩いても歩いても』の2つに。結局おのおのが好きな方を見ることに。

 

小林さんたちとはここでお別れです。ほんとうにお世話になりました。

 

 

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ほとんどの学生は『歩いても歩いても』を見て満足したようでした。『おくりびと』を見た数名の学生たちは、「久石譲の音楽は良かったけど......」と言葉少な。ゼミでダグラス・サークを見て目が肥えてしまっているのでもっともな反応でしょう。

 

上映終了後、映画館の前で記念撮影(相生座の方にシャッターを押していただきました)し、解散。残りの時間は自由行動ということで、山田さん作成の自由時間ガイドを手に夜の街にくり出していきました。

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