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いいおか しろう

飯岡 詩朗

英米文学 准教授

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コミュニティシネマ

映画と/における松本

およそ110年前、リュミエール兄弟が映画の初興行を行ってから間もなく、リュミエール社のカメラマンがリュミエール兄弟が発明したシネマトグラフを担いで、世界中に旅立った。
「カメラマン」とは言っても、シネマトグラフ自体が撮影・現像・映写(上映)を行える装置であったため、彼ら「カメラマン」の仕事は、単に、世界中の珍 しい目新しい光景を撮影し、フィルムをフランスに持ち帰ることだけにあったのではなく、撮影に赴いた地での映写も彼らの仕事であった。しかもその映写に際 しては、“異国”で撮影されたフィルムを見せるだけでなく、まさにその地で撮影されたばかりのフィルムも映写され、その地の観客は、見慣れた光景やよく見 知った人物、ときには自分自身がスクリーンに映し出されるのを見て、熱狂したという。
こうした単純で素朴な喜びを理論的に語ることはなかなか難しいのだが、ともあれ、映像を見ることの原初的な楽しさや面白さに触れることのできるイヴェン トが間もなく松本で開催される。「映画で観る「松本」今昔物語」(松本CINEMAセレクト主催・松本市制施行100周年記念事業)である。(プログラム や個々の作品紹介など、詳細は、松本CINEMAセレクトの公式サイトを参照してもらいたい。)

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上映可能なプリントが現存しないなど諸般の事情により、今回の上映プログラムが、松本市でロケ―ション撮影をされた映画の最も優れた5作品というわ けではもちろんないのだが、そうではないとしても、たとえば、『三大怪獣 地球最大の決戦』(1964年・本多猪四郎監督)など、キングギドラが来襲し住民が市街地を逃げ惑うシーンは、数年前に松本に移り住んだわたしにとっては 懐かしさの感覚はないものの、それでも見ていてニヤニヤさせられる楽しさである。(もちろん、この楽しさは、怪獣映画や惨劇映画特有の楽しさでもあるだろ う。)
一方で、身体的な懐かしさではないものの、地方都市の変容への歴史的な興味をかき立てる作品もある。『ひばりのサーカス 悲しき小鳩』(1952年・瑞 穂春海監督)では、現在の場所に移築されるまでは女鳥羽川のほとりにあった旧開智小学校や、カトリック教会、旧長野地方裁判所などの昭和20年代後半の姿 を目にすることが出来る。
もちろん、わたしにとって最も興味深い地方都市の変容は、映画館との関係においてなので、「映画で観る「松本」今昔物語」のプレイヴェントとしてこの春 (2007年3月25)に松本CINEMAセレクト主催上映会で上映された『姉妹』(1955年・家城巳代治)で映し出された片端町の松本大映(現在の松 本テアトル銀映)から上土町の松本東映(現在の上土シネマ)の賑やかな姿とつなぎあわせると、日本映画の黄金期における映画(館)と松本の関係がおぼろげ ながら浮かび上がってくる。わたしが松本に移り住んでからでも、5つものスクリーンが消えていったが、それが必ずしも直接的に映画興行の衰退によるもので はなく、街それ自体の活力の(長期的な)停滞と結びついているのは間違いないのである。
先頃、人文学部教員で日本現代史を専門とする大串潤児さんの紹介で、長野県現代史研究会第40回例会「長野県の戦後映画史 -映画館の視点から-」(2007 年10月13日)に参加する機会をもった。そこでの長野郷土史研究会の小林竜太郎さんによる報告から、長野県内における相次ぐ映画館の閉館(それはシネコ ンのオープンにより必ずしもスクリーン数の減少には直結しない)と街それ自体の活力の停滞についてあらためて考えされられた。同時に小林さんを中心に長野 市における戦後映画史については、調査が進んでいる(その成果は同会機関誌『長野』第248、253号に発表されている)が松本市の戦後映画史については まだ体系的には調査が行われていないというのがわかった。
これを機に、わたし自身少しずつ調査を始めてもいるのが、近いうちに大串さんにならってというわけでは必ずしもないのだが、古い住宅地図を手に松本市の映画館(跡)をめぐるフィールドワークを学生と一緒に行おうかと考えている。もちろん、ノスタルジックに松本の「三丁目の夕日」を探しにいくのではなく、松本における映画(館)の未来への投企として。

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