教員紹介

はやさか としひろ

早坂 俊廣

哲学・芸術論 教授

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中国関係

旅情の無い無錫調査

東林書院

君の知らない異国の街で現地調査を行ってきました(この出だしにピンとこない方は「無錫旅情」で検索してください)。宋明理学を研究する人間からすると、「東林書院」のある街・無錫です。何度も近くを通り過ぎたことはあるのですが、不思議と縁の無い街であり、足を踏み入れたのは今回が初めてです。調査に同行してくれることになった中国の若手研究者Sさんと上海浦東空港で落ち合い、長距離バスで無錫に移動です。バスのなかで、「最近の中国の若者はスマホで日本のドラマ(中国語字幕付)を見ている」という話になり、画面を見せてもらって驚きました。「逃げるは恥だが役に立つ」「ゆとりですがなにか」といった既に放映の終わった話題作だけでなく、「カルテット」「東京タラレバ娘」という現在放映中の作品も見ることができるようなのです。権利関係で問題は無いのかが気になりましたが、とりあえず、日中両国の関係構築にとってよい面も多いのだろうなと思いました。ちなみに、中国語で順に「逃避可耻但有用」「寛松世代又如何」「四重奏」「東京白日夢女」となるそうで、前三者がほぼ直訳なのに対し、最後の「白日夢」には笑いました。

高攀龍墓

それはともかく、無錫です。大学院の修士1年の時、演習で顧憲成の思想資料を読む機会がありました。受講者はオーバードクターの先輩と大学卒業したばかりの私の二人だけでしたから、ほとんど先生二人に学生一人の状態です。苦行以外の何ものでもありません。今、曲がりなりにも研究者の末席に加えていただけているのも、この演習のおかげだったのかも知れません。説明が遅れましたが、その顧憲成が「東林党」の領袖の一人です。苦行を思い起こし、涙が出そうになりました。ただ、今回の無錫調査の主たる対象は、もう一方の領袖である高攀龍でした。彼の墓が無錫郊外の青山公園にあるということを「百度地図」で見つけ、行くことにしていました。東林書院は街中の至便な場所にありますが、高攀龍墓は、Sさんのスマホ検索が無ければ探し当てるのは無理だったかも知れません。この墓自体は、別の場所にあって荒廃していたものを1980年代にこの地に移したものだそうで、歴史的価値はそれほど無いのですが、明末の思想界を代表する思想家の墓に参ることができて、感激しました。

高子水居

無錫市内には、他にも、「高攀龍濯足處」が、「無錫旅情歌碑」の建つ黿頭渚という地にありました。残念だったのは、蠡湖湖畔にある「高攀龍記念館」が閉まっていたことですが、その記念館のある「高子水居」というところには、高攀龍の言葉を刻んだ石碑が多く建っていて、彼がいまでも無錫の人々に崇敬されていることを感じることができました。もっとも、「高子水居」は実に気分のよい風光明媚な場所であり、散歩したりおしゃべりしたりする中国の方たちが多くいましたので、高攀龍がどういう人物かというよりも、高子水居が精神衛生上も身体健康上もきわめてよい場所であることのほうが、一般の方々には重要なのでしょうけれども。

無錫図書館旧址

高攀龍と同時代の思想家に劉宗周という人物がいます。その劉宗周の弟子である惲日初が武進の出身であるため、常州武進地区を見てみたい、というのが、今回の調査の初発の動機でした(ちまちました研究テーマですみません)。常州調査については、また日を改めて報告したいと思いますが、常州に行くついでにというぐらいの気持ちで訪れた無錫で、多くの「場所の記憶」に接することができて、大収穫でした。久保先生に教えていただいた「無錫図書館旧址」も、趣ある建物で、とても素敵でした。そこかしこに残存している歴史的文化的雰囲気に触れたことで、資料の見え方(読め方)が変わってきそうです。

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