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はやさか としひろ

早坂 俊廣

哲学・思想論 教授

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中国関係

マテオ・リッチを読む

今学期、演習でマテオ・リッチ(中国名は利瑪竇、1552~1610)の『天主実義』を読むことにしました。とはいえ、私にとっても柴田篤氏の訳注(平凡社・東洋文庫)が無ければ、なかなか手を出す勇気が湧かない代物です。そこで、柴田訳を「主」、漢文の原文を「従」として、担当者には内容分析の成果を発表してもらうスタイルにしました。イタリア人宣教師が漢文で著した著作を日本語訳で読む、という、何とも屈折した作業をするわけです。ただ、この著作に出てくる「中士」と「西士」の対話は、恐らくその当時(明代後期)実際に交わされた中国人学者とイエズス会士の問答が基礎になっているはずであり、比較哲学(知の格闘技)の一級のテキストだと言えます。右の写真は、江西省南昌市の聖母無染原罪堂(この教会については、2014年10月15日のブログで紹介しました)の中庭に立っていたマテオ・リッチの像です。

私自身はクリスチャンではありません。かといって儒教徒でもありませんが、長らく研究していると自然と情が移るもので、知らないうちに儒教寄りの見方に偏っているかも知れません。また、それしか見ていないとそれすら分からなくなる危険があります。そういった理由もあって、出来るだけ、天主教徒(中国に来たキリスト教カトリックの宣教師)たちの書物を目にするように心がけています。思いもよらないツッコミが見つかったりした時には、儒教文献を読んでいるだけでは気づかない儒教の特質が(薄ぼんやりとではありますが)見えてくる気がします。ただ、そういった理由以上に、命をかけて異国に渡り自己の信ずる道を伝えようとした人たちって偉いなあという極めて単純な思いがあって、それが、そういう人たちのことをもっと知りたいなあという極めて素朴な思いを引き起こしている、というのが本当のところのような気もします。左の写真は、浙江省杭州市西渓路にある「衛匡国墓」です。「衛匡国」とは、イタリア人宣教師マルティノ・マルティニ(1614~1661)のことで、彼は明末清初期に中国で布教活動を行い、杭州でその生涯を閉じた人物です。ただし、「天主教聖公墳」という表示からも分かるように、これは、衛匡国だけの墓ではなく、何人かの天主教徒を葬った(後世にまとめて祀った)墓地のようです。私自身、学問に身を賭す覚悟なんてもともと持ち合わせていない輩ですが、こういう人たち(鑑真和尚だって三蔵法師だってそうです)に対する素朴な畏敬の念は持ち続けていたものだと思っています。

杭州天主教堂(杭州中山北路)

ちなみに、ここまで書いてきて、「命をかけて異国に渡り自己の信ずる道を伝えようとした人たち」の具体例に儒教徒がいないことが改めて思い知らされます(江戸時代の朱舜水だって、別に儒教を伝えるために日本に来たわけではありません)。理由は簡単で、儒教では「禮聞來學、不聞往教」(学生が師のもとに「来て学ぶ」のが礼儀であり、師がわざわざ「行って教える」なんて聞いたことが無い!)が原則だからです。日中戦争期の話ですが、浙江大学から教授就任を請われた馬一浮という学者は、この言葉を掲げて依頼を断ったそうです。ですから、明代の儒学者たちは、わざわざ西の果てのほうから教えを伝えに来たマテオ・リッチたちの行動が今ひとつ理解できなかったでしょうし、心優しい皇帝様は「そんなに自分の徳を慕って遙々やって来たなんて、何ともういやつじゃ」と勝手に思ったことでしょう(最近の学生さんは、「ういやつ」っていう言葉を理解できるんでしょうか?)。このような、文字通り「根本的」にずれている状況のなかで、それでもわかり合いたいと思いながら紡がれたであろう対話の数々を、これからもすくい取って行ければと思っています。

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