教員紹介

はやさか としひろ

早坂 俊廣

哲学・芸術論 教授

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中国関係

江西調査報告(2)鷹潭貴渓

両脇には韓愈の言葉も

ある教員に「辺境の旅シリーズ、楽しみにしています」と言われました。とんでもない誤解です。「中国近世思想史の黄金ルート」の旅なのであります!    ・・・というわけで、懐玉山の翌日、早朝から鵝湖書院(2012年5月18日の本ブログ参照)を参観し、その後、鷹潭市にある「貴渓第一中学」に立ち寄りました。ここは、かつて「象山書院」のあった場所です。ただし、陸九淵(1139-1193。「象山先生」)存命時に講学を行った場所ではなく、彼の死後2世代ぐらい後になって、新たに復興したほうの「象山書院」のようです。貴渓一中は優秀な学校(日本の高校相当)のようで、学内に、誰それが何たらの試験で「状元」になった、といった掲示が目につきました。「状元」とは、科挙でのトップ合格のこと。いまだにこの言い方が残っていて、大学入試試験の前後に、元「状元」さんのインタビュー記事が新聞に載っているのを読んだことがあります。

残念ながら「院」は見えず

その貴渓一中は、さすがに昔、象山書院のあった場所にふさわしく、売店入り口に大きく陸九淵の言葉が掲げられていました。崩落の危険があるからということで、山の近くに立ち寄ることはできませんでした。それでも、がんばって皆で探して、山の側面にある「象山書院」の刻字を見つけることができました(正確には「象山書」までの部分)。たぶん他の方々には理解していただけないであろう満悦感に浸りながら、一同、その日の最大の目的地、同じく貴渓にある「龍虎山」へと向かいました。「龍虎山」は、世界自然遺産にもなっている、奇岩怪石で有名な一大観光地ですが、我々はそういうところには立ち寄らず、その少し奥にある「上清宮」に直行しました。王畿の『龍渓会語』に「沖元会紀」という講学記録があり、そこには、王畿が「鵝湖の境」「象山の墟」に立ち寄った後、この龍虎山に入り、「冲玄精廬を得た」とか「上清の東館に群聚した」とか記されています。今回の我々は、そのルートを辿って「上清宮」に向かったことになります。

龍虎山(のごく一部)

龍虎山は、もともと道教の聖地として非常に有名な山です。上清宮はそこにある道観(道教の宗教施設)のことで、儒学者たちがそこに集まって良知心学を議論し合ったのは、不思議な気がしないでもありません。ただ、この時代の人たちは結構、道観や寺院で講学会を開いたりしています。「良知心学」に関する講学会というのは、今の感覚で言えば、「たくさんの人が集まって、普遍的価値観について講じ合う」という感じだったのでしょうか。今の中国の大学では「普遍的価値」を講じてはいけないことになっていますから、明代の思想家たちが道観や寺院で議論し合ったのも、意外とそれに似た感覚なのかも知れません。ただ、現代の「上清宮」は立派な観光地であり、しかも世界遺産「龍虎山景区」の一部です。嬉々として上清宮に入場しようとした我々でしたが、「通し券じゃないと入れない! 龍虎山景区の入り口のチケットセンターで通し券を買ってこい!」と門番さんに言われ、憤然として入場を辞め、嫌みったらしく周辺からなめるように写真を撮りまくって、その場を後にしました。

門番さんのせいじゃありませんけどね

上清宮(の周り)の写真を撮っている辺りから、強い雨が降ってきました。もともと陸九淵が象山書院(精舎)を営んだ応天山にも足を伸ばそうとしましたが、道路が不通になっていたため、遠目から写真を撮るだけで済ませました。戻る途中、偶然「陸氏宗祠」を発見し参観しましたが、それについては(3)で紹介します。龍虎山景区を出るころには、雨もあがり、見事な景色を写真に収めることができました。「道観で雨が降ってきて、宗祠を参観したら雨があがるなんて、陸九淵からのメッセージとしか思えませんよね!」と無邪気に言い合い、一行は、次の目的地・陸九淵墓に向けて出発しました。ええ、その後のことを考えれば、あまりに無邪気であったと言わざるを得ません。(続きを、乞うご期待!)

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