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はやさか としひろ

早坂 俊廣

哲学・芸術論 教授

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中国関係

安徽調査報告(2)龍川胡氏宗祠

胡宗憲像

胡宗憲という人が、明代の中国にいました。ちょっとさぼって電子辞書内の『ブリタニカ国際大百科事典』の説明をお借りするならば、「[生]?[没]嘉靖44(1565)/中国,明の政治家。績渓(安徽省)の人。・・・倭寇平定に功があったので有名。」とあります。もっと詳しい説明がこの後に続きますが、省略いたします。「績渓」と「倭寇」という単語だけ頭に置いて、以下をお読みください。  科研の共同研究で、陽明学者・王畿(1498~1583)による「講会」(学術シンポジウム)の記録を読み進めています。王畿は浙江紹興の人なのですが、浙江での「講会」記録はほとんど無くて、江西や安徽でさかんに「講会」を行っていた模様です。講会について正確に理解するために現地を訪れてみよう、ということで、今年は安徽省の関連地点を科研メンバーで廻ってきました。

胡宗憲を称える碑坊

ところで実のことを言えば、胡宗憲は、講会の関係者ではありません。ただ、陽明学者たちと親しく交流をしていた同時代人ですし、彼の一族の「宗祠」が現存していて「全国重点文物単位」に認定されているという情報を得たので、そこも訪ねてみました。「宗祠」というのは、「宗族(父系の親族集団)の祠(祖先の霊をまつるみたまや)」のことです。中国における人的結合を理解するうえで極めて示唆的なので、私はできる限り見て回るようにしています。・・・と偉そうなことを書きましたが、そんなに多くの宗祠を見た経験があるわけではありません。でも、これは断言できます。この「龍川胡氏宗祠」は桁外れにでかいです。あまりにでかかったので、内部の全体をうまく撮影することができませんでした。

胡氏宗祠の正面

もっとも、この胡氏宗祠で最も印象深かったのは、展示室に飾られていた海域図でした。それは、『籌海図編』という「明代の日本研究書」(前引事典の説明)に載る海域図を拡大コピーしたものだったのですが、そこには中国の国旗が付けられていました。説明書きには「釣魚島は古来ずっと中国固有の領土である~績渓龍川の胡宗憲は、釣魚島を中国海防図版に標記した第一人者である~」と記されていました。恥ずかしながら、この文章を記すまで、私は、胡宗憲が『籌海図編』を編纂したものとばかり思っていましたが、調べてみると、そうではないようです。ただ、刊行に寄与したようですので、この説明書きも(「中国固有の領土」云々はともかく、胡宗憲と『籌海図編』との関連性に関しては)全くの間違いとは言えないのでしょう。何にせよ「現代的課題」を突きつけられた(見せつけられた)思いを強く持ちました。ずっと解説してくれていたガイドのお姉さんは一体どういう気分でいたのか、とても気の毒に思えてきました(逆のケースを想像したら、すごく嫌だなあーと思ったので)。

国旗付き海域図

なお余談ながら、前国家主席の胡錦濤氏は、この績渓龍川胡氏の流れを汲む方のようです。「明日、胡錦濤さんがここに来る」と聞いて、冗談かと思いましたが、どうやら本当だったようです。同じ日に予定を入れていたら観覧することはできなかったはずなので、ラッキーだったと思います。倭寇対策に尽力した先祖を前にして、倭人どもに彼がどういう表情を浮かべたか、見てみたかった気もしますが。

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