教員紹介

はやさか としひろ

早坂 俊廣

哲学・芸術論 教授

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中国関係

中国の信州 その二

河口古鎮にて

前回書き忘れましたが、鵝湖書院は江西省上饒市の鉛山県にあります。その鵝湖書院を参観した後、タクシーの運ちゃんが教えてくれた山の上の寺に参りました。車でそれなりに登ったところに、その「鵝湖峰頂慈済禅寺」はありました。新しくて立派なお寺です。こういう場所にこういうお寺があるのは、篤い信心と経済的ゆとりの両方があればこそでしょう。今の中国の一面がよくうかがえるように感じました。その後、鉛山県にある「老街」に向かいました。

河口古鎮にて

今回の旅行前、S氏が「鉛山の河口古鎮というところが面白そうなので、鵝湖書院を見て時間が余ったら観に行きましょう」と提案してくれていました。タクシーに乗車した際、運ちゃんに河口古鎮のことを聞いてみたら、「そこなら任せておけ」とやたら自慢げでした。話を聞いてみると、彼の奥さんがその町の出だとか。古鎮に着いてから、一緒に歩いて案内してくれました。明清時代に交通の要所として栄えた場所らしく、綺麗とは言えないけれども趣のある町並みが残っていました。ちょうど下校の時間に当たったらしく、中国の人気アニメ「喜羊羊」の絵柄がついたリュックサックを背負った子どもたちが歩いていました。扉が開いていたので家の中を覗いてみたら、毛沢東のポスターの前でご老人たちが麻雀をしていました。「レトロ街で儲けよう」という気持ちが一切感じられない、伸びやかなアンニュイ感が素敵な空間でした。

信江

「河口古鎮」というだけあって、町のすぐ横には河川が流れていました。名を聞くと「信江」とのこと。上饒の市街地でも見かけた河川ですが、この辺りで見ると、何だかやたらと迫力がありました。向かい岸の山が独特の形をしていて、迫力を演出してくれていたからだと思います。   上饒市街地へ戻る途中、鉛山県の中心地辺りで、「あれは朱熹の銅像だ」と運ちゃんが言うので、写真撮影のために下ろしてもらいました。銅像に近寄ってみると、我らが朱熹先生ではなく、この地にゆかりのある「愛国詞人」辛棄疾(1140-1207)のものでした。この文章を書くまで私は、辛棄疾はこの土地の出だと思い込んでいましたが、『大辞林』によれば、彼は山東の人で、「四三歳から20年間信州に隠棲、憂憤のうちに没した」ということだそうです。タクシーに戻って、あれが朱熹の銅像ではなかったということは運ちゃんに言いませんでした。何にせよ、地元愛にあふれる運ちゃんに出会えてラッキーでした。

辛棄疾の像

こうして、サバティカル期間中の最後の調査旅行は終わりました。ホテルに戻り、ホテル内のレストランで夕食を取りました。江西料理の特徴は「辛い」点にあります。四川出身の人が「四川料理は麻(マー)も辣(ラー)もあるが、江西のは辣なだけ」と悪口を言うのを聞いたことがあります(「麻」は舌がしびれる山椒的なからさ、「辣」は唐辛子的なからさ)。江西人がどう反論するか分かりませんが、確かに江西ではひたすら<辣>な料理が多かった印象があります。地元の人におごってもらう時には、文句を言わず食べざるを得ませんが、今回は、自分たちだけです。慎重に、あまり辛くない料理を注文し、実り多き調査に対して祝杯を捧げました。もちろん、人から記憶を奪う「白酒」は、今回は口にしませんでした。

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