教員紹介

はやさか としひろ

早坂 俊廣

哲学・芸術論 教授

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中国関係

紅と白―江西吉安行(下)

江西吉安の民家

江西吉安の印象を色でたとえるなら、「紅」と「白」でしょうか。別に年末だから無理やりこじつけたわけではありません。「紅」というのは、赤土がとても目につく土地柄で、そのためか建物も赤っぽいものが多いように感じたからです。もちろん、吉安には「井岡山」という共産党の聖地がありますから、そこでも「紅」つながりです。「白」というのは・・・、「白酒」です。とにかく毎日、昼と夜にきちんと、おもてなしをいただきました。「調査に行ってお酒を飲むなんて……」というご批判は甘んじてお受けいたしますが、そういう批判をする人は永遠に中国のことを理解できないでしょう(飲んだから分かるというものでもありませんが)。それはともかく、杭州や上海で受けたことのない、強烈なおもてなしをいただき、中国は多様だということを身を以て感じることができました。ただ、あまりにも度数は高く、あまりにも熱烈な歓迎だったため、しばしば意識がどこかに飛んでいってしまって困りました。「白色テロ」(中国語では「白色恐怖」)という言い方がありますが、まさに恐怖の「白」です。念願の浙大西遷の地で写真がぼけまくり、ぶれまくるわけです。

釣源村(陰陽の巡り行きを表している池)

このように、今回の江西吉安行は強烈な印象を残してくれました。もちろん、お酒だけではありません。非常に味わい深い古鎮をたくさん見ることができたのも大収穫でした。廬家洲村・釣源村・燕坊村など、多くの古鎮に連れて行っていただきました。現代日本人の私がこういう古鎮を賞賛するのは、ある意味「きれいごと」だと自分でも思います。「そんなに気に入ったのなら、ここに住むか?」と問われれば、私は即座に断ることでしょう。ただ、きれいごとだということを自覚した上であえて言うならば、村全体の作りが何だか「生理」にかなったものに感じられ、理屈抜きの心地よさを感じてしまうのです。犬の糞やら何やらがあちこちにあって、踏まないように注意深く歩いていた人間がそういうことを言う資格はないのですが、村の中心にある池やあちこちに生えている木やらを見ていると、「風水っていうのは、こういう感覚のことを言うのかな?」と思えてきました。

歐陽氏だけに鷹揚です

どの古鎮でも、名族の館やら宗祠を見せてもらいました。「宗祠」というのは、宗族(男系親族の集団)が祖先を祀る廟のことです。どれも立派で、どれも生きていました。「生きていた」というのは、いまでも祖先を祀る営みが絶えることなく行われ続けており、単に観光目的で残っているわけではない、ということです。今回見せてもらった宗祠のなかで、もっとも立派だったのは、泰和県馬市鎮蜀口洲にあった歐陽氏の宗祠です。王陽明の高弟に歐陽徳という人物がいますが、その一族のものです。江西における陽明学関連の遺跡をめぐる今回の調査でもメインといってよい場所ですが、期待を裏切らない立派さでした。個人的に印象深かったのは、「三世憲臺」「父子進士」「兄弟尚書」といった先祖をたたえる扁額の数々です。現代日本で言えば、「親子で国家公務員Ⅰ種合格の家」「兄弟で大臣になりました!」という看板を家の前に掲げるようなもので、恐らく相当な顰蹙を買うと思うのですが、時代も土地も違えば、それもまたよしということなのでしょう。

歐陽氏崇徳堂

 いずれにしても、文献を読んでいるだけではわからない宗族の雰囲気、人的結合の実際が感じられて、非常に有意義な調査でした。またぜひ訪れたいです……と言いたいところではありますが、課題は、「ウコン」でさえも「力」になり得ない「白色恐怖」をどうくぐり抜ければよいのか、という点です。実は、江西を発った記憶がありません。気づいたら、寝台列車のなかでもがいており、なぜかおでこに擦り傷ができておりました。

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