教員紹介

はやさか としひろ

早坂 俊廣

哲学・思想論 教授

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ざれごと

「情報量」と「調べる」

授業後に書いてもらうコメントのなかに、「今日の授業は、情報量が多くてよかった」というのがあった。しばらく眺めて、どうも褒めてもらっているらしいということに気づいた(ありがとうございます)。そう言えば、昨年度の授業アンケートで「もう少し授業で扱う情報量を増やしてもよいのではないか」という趣旨のコメントがあった(どうも申し訳ありません)。どうも最近の大学教育の現場では、「情報量」なるものが大切な要素であるようだ。


話は変わるが、講座の卒論指導会などの席上で、学生が使用する「・・・という点について調べたい」といった表現がすごく気に障るようになってきた(いきなり難癖つけられた○○さん、ごめんなさいね)。いや、そりゃまあ、「調べる」ことも大切だけどさ、せっかくの卒論なんだから、「分析する」とか「考察する」とかをしようよ、何なら「耽溺する」でもいいんだぜ、という気分になる。


按ずるに、「情報量」を求める心性と、テーマについて「調べたい」と口にする心性とは、とても似通っているように思う。どちらも、まじめな学生さんが口にする言葉なので、そのまじめさには敬意を表しつつも、私の感じる違和感も分かってもらえたらなあと切に願う。


私が大学1年の時に受けた教養の授業で、「大学は、授業ではなく、講義が行われます。つまり、<業を授ける>のではなく、<義を講ずる>のが大学です。」と語ってくれた生物学の教師がいた。生物学に関する「情報」は一切覚えていないが、その言葉だけは、四半世紀経った今でも忘れることが出来ない。


情報は後から調べることもできるが、「義」は、われと我が身で受け止め、噛みしめていくしかない。何にせよ、授業アンケート等で寄せられた上記の指摘は、私がまだ「義を講ずる」ことができていないことに対する叱責と受け止めておきたい(違ってても許してね)。




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