教員紹介

おおぐし じゅんじ

大串 潤児

歴史学 教授

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サークル誌をもとめて

初秋に「わらび座」を訪ねて

おもいでぽろぽろ

 2011年9月19日から東北秋田を訪ねました。家族旅行でもありましたが、主な目的は「たざわ湖芸術村」を訪ね、劇団「わらび座」の機関誌『わらび』を調査することでした。  「わらび座」は、1951年東京に生まれますが、53年からは秋田に定着、民謡・民舞をはじめとする「民族芸術」を調査・発掘しながら舞台表現を創造し、さらに農村青年地域サークルなどと交流をしながら、地域の文化運動を進めてきた劇団です(『日本の歌 民族の舞』わらび座、1982年)。秋田仙北の地域サークル運動を考えるためにも、一度、機関誌『わらび』を読んでみたいとかねがね思っていたところです。  舞台では「おもいでぽろぽろ」が上演されていました。漫画原作ではなくスタジオジブリの作品で見た限りですが、舞台では「里山の役割」、村祭りでの踊りなど「わらび座」ならではの主張と表現が見られた、と思います。映像表現では違和感のなかった主人公「タエ」と「小タエ」(小学校5年生の頃の自分-「答え」でもあるのですね)のいわば「自己内対話」を表現することの楽しさと難しさを感じた舞台でもありました。    「わらび座の芸術的使命は、人間の根源に迫り、その多彩な表現を通してより多くの人々の心に感動と幸福を生み出すことです」(わらび座HP-2011年10月27日より)。  「ばっきゃ」(ふきのとう)で食べた食事も、温泉宿「ゆぽぽ」も美味しく楽しいものでした。

『わらび』を読む

 公演終了からホテルの食事の時間まで同じ「たざわこ芸術村」にある「民族芸術研究所」を訪れました。機関誌『わらび』創刊号(1954年1月)は、施錠されたキャビネットに納められていました。若干の欠号はありましたが(-持って行ってしまう人がいたようです)、貴重な史料を見ることができました。  翌日も朝からお世話になり、図書館の小田嶋さんには感謝します。  雑誌『わらび』は、原太郎などの民族芸術論・民族文化論が掲載されるとともに、わらび座内での芸術表現をめぐる議論、グループ編成(班)ごとの公演活動、その記録など充実した記事内容です。炭鉱を中心とする北海道公演、労音・労演などと協同した関西公演などの記録は1960~70年代の文化運動を明らかにしてくれるでしょう。  秋田県仙北地域は1950年代、地域のサークル活動がさかんでした。少し南の横手にはむのたけじの『たいまつ』(横手市立図書館所蔵)もあって、こうした活動を支え、つないでいました。「わらび座」の活動も、こうした地域文化のなかにあったのです。  民族芸術研究所もいくたびか場所をかえたため、『わらび』に記録されている交換していたサークル誌などはすべて処分してしまったそうです。しかし、ここ10数年、追いかけている秋田県能代のサークル「山脈の会」、白鳥邦夫の文章を『わらび』誌に見つけたことが1つの成果でした。

 帰り道、払田の柵(ほったのさく・ほったのき)遺跡を訪ねました。  東北最大の古代城跡の遺構だそうです。近くの秋田県埋蔵文化センターの皆さんにも質問などでお世話になりました。  さらに南にクルマで走ると、旧十文字町には「金沢の柵」があり、JRにも「後三年」という駅があります。  平泉が世界遺産に登録され、ふたたび東北史・北方地域史への関心が高まることでしょう(てごろなものに斉藤利男『奥州藤原三代』山川出版社・日本史リブレット2011年)。

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