教員紹介

はやさか としひろ

早坂 俊廣

哲学・芸術論 教授

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中国関係

寧波蔵書楼調査報告

前口上

長江流域では、つい最近まで「ここ数十年で最大の旱魃被害」について盛んに報道されていたのに、6月に入った辺りからそれが「最強の梅雨」へと変わり、洪水の被害が各地で出ている模様です。時系列が滅茶苦茶で恐縮ですが、梅雨に入る前に寧波で得た知見を報告いたします。(なお、「ですます」調で書くか「である」調で書くかいつも迷うのですが、「寧波プロジェクト」関連の記事を「である」調で書いていたので、以下そちらに合わせます。)

廬氏抱経楼

抱経楼遺址石碑

「抱経楼」は、廬址が乾隆年間に建てた蔵書楼である。ここ最近ずっと清代の思想家・全祖望について研究している。彼が亡くなった時、葬儀を行うお金が無かった遺族が、彼の蔵書を廬氏に売り払ってお金を工面した、という経緯もあって、この蔵書楼について興味をもっていた。以前に別件で寧波を訪れた際、一人で跡地を探しに行って見つからなかったので、いつもお世話になっている現地の先生方にお願いして、連れて行ってもらった。行って驚いたのだが、寧波でも一番の繁華街と言っても良い「天一広場」の向かい側に跡地を示す石碑があった。現地の先生の話を聞いてもっと驚いたのだが、石碑のある場所は不正確で、もう一区画奥に入ったところに、抱経楼はあったとのことである。今は高層マンションが建っていて、往時の面影(見たことはないが)は全くない。抱経楼の建物の一部は、寧波でもとびきり有名な観光スポット「天一閣博物館」に移築され再利用されているそうである。

徐氏煙嶼楼

全祖望彫像

徐時棟(1814~1873)は、寧波の地方志を校勘・整理する等、地元の文化保存に貢献した藏書家である。彼の故居・蔵書楼である「煙嶼楼」は月湖畔にあり、外観だけは何度か見たことがあったが、今回は、現地の先生方のお骨折りで中まで見せていただいた。一部民家・一部廃墟という感じで、写真を掲載するのは控えておく。その代わりに、「煙嶼楼」の横に建てられていた全祖望の彫像の写真を載せておく。この場所が全祖望の生誕地である「桂井街」であることに因んで2008年12月に建てられたもののようである。ただ、これも「抱経楼遺址」の石碑と同様で、より正確には、この場所よりも少し南西の方角に入ったところが「生誕地」(一族の居宅があった場所)であり、しかも具体的にどの位置にそれがあったのかは、二つほど候補の家があって、議論が分かれているらしい。石碑にしろ彫像にしろ、一目で分かるその直截さが逆に危険であることを思い知らされた。

天一閣博物館

抱経楼の一部を再利用

徐時棟には、他に「水北閣」という別宅・蔵書楼もあったようで、その「水北閣」や前に紹介した「抱経楼」等の建物の一部は、天一閣博物館に移築・再利用されている。こういう話は以前から見聞したことはあったし、天一閣にはそれこそ数え切れないほど足を運んだことがあるが、そのつもりになって見たことは今まで無かった。今回、専門家の説明付きで移築先の建物を見学し、今まで自分は一体何を見ていたんだろうかと惨憺たる気持ちになった。  それはさておき、抱経楼主人の廬址は、生前、天一閣への対抗意識が非常に強く、「四庫全書」編纂の際に多くの書を献上した褒美として天一閣が「古今図書集成」を下賜されたことにライバル心をメラメラと燃やし、大枚をはたいて自ら「古今図書集成」を購入したという。その彼の抱経楼の一部がいま天一閣に移築されているわけであるから、実に皮肉な話である。

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