よくある質問(入門編)

よくある質問(入門編)/「哲学・思想論ってなにをやるところなんですか? 情報まるでゼロなんですけど」という人のために

◆そもそも「哲学」や「思想」とはなにかよくわかりません。

哲学とはなにか? というのは正直いって難しい問題です。正面からこの問いをぶつけられて、「答えは◆◆だ」とはっきり答えられる人は(すくなくとも私たちの教室には)いないかもしれません。やってる本人たちにもわからない話ですから、単刀直入な答えはいったんあきらめて、以下の質問に対する回答を通じて間接的に答えることにさせてください。

◆どういった人が、この領域で勉強するのに向いているのでしょうか。

強いていうなら、「あれこれとくだらないことに引っかかってぐるぐると考え続けた経験のある人」、あるいは、「なんだか知らないけど<議論>したり友人と<熱く語ったり>するのが好きな人」、ということになるでしょうか。とくに、まわりから「しょ〜もないこと考えんなや」とか、「なんやねん、イジイジいじいじ! ブツクサ考えとってもしゃあないやんけ!」とか言われながらも、どうしてもその「問い」に引っかかって「問う」ことをやめられなかった経験のある人、あなたは哲学向きかもしれません。

たとえばどんな問題かって? 「豆腐の角に頭をぶつけて死ぬには時速何キロで衝突する必要があるのだろうか」とか、そういうのもありますが、もうちょっと哲学的なやつをいくつか挙げてみましょう。

「この看板にはうそが書いてあります」という看板に書いてあることは本当なのかうそなのか。(「張り紙禁止」という張り紙は許されるのか、というのもありますか。)

あるいは、こういうもの。

タイムマシンで自分が生まれるまえの過去の世界に行って、自分で両親を殺したらどうなるだろうか。両親が死んでいなくなるということは、自分が生まれないということだ。しかし、わたしが生まれなかったのだとすると、生まれなかった私に両親が殺されることはないので、両親は無事に結婚してやっぱり自分は生まれることになる。しかし、そうだとすると自分が過去の世界にタイムトラベルして両親を殺すことになるので・・・。

しょ〜もないですねえ、本当に。でも、こういう問題に引っかかって、毎日まいにち「ああでもないこうでもない」と頭をひねり続けている人たちはたくさんいるのです。こういった人をみて、「ばっかじゃないの」ではなく、「わたしだけじゃなかったんだ」、もしくは「それもありなんじゃないかな」と思った人、哲学に対する適性、十分です。

◆哲学・思想論講に進学すると、本当にそんなくだらない、というか浮世離れした話ばかりを勉強することになるのでしょうか。

そんなことはありませんよ。もうちょっとシリアスな例も出しておきましょうか。

問い:10人の致死的病気の患者に対して、治療薬が一人分だけある。均等に配分したのでは全員が死亡する。救う事ができるのは一人だけ。どう判断すればよいのだろうか。

「10人全員が無駄死にするよりはだれか一人でも救うべきだ」 「しかし、その<幸運な一人>をどうやって選べばよいのか」 「くじびきなら平等だろう」 「いや、10人の中には、性犯罪の加害者と被害者が両方含まれている。加害者が命を取り留めて、被害者が命を落とすことになったら、それはとても公平とはいえない結果だろう」 「全員の社会的地位とか、人柄とかを考慮しよう」 「しかし、道徳的に正しい行いを続けてきた善人と、世界中の人々に大きな感動を与えてきたピアニストと、三人の乳飲み子を抱えたお母さんのうち、だれを選べばよいというのか」 「いっそ、10人中9人が死んでしまうまで待つ、っていうのはどうだろうか」 「うーん・・・」

この問いに関しても、簡単に、「これが正解だ」と言い切ることのできる答えはないように思われます。

こんなふうに、なかなか割り切れない問題、あたりまえのようにみえても考えれば考えるほどわからなくなってくる問いに対し、「ああもう面倒くさい!」と投げ出すのではなく、とことんまで付き合ってみようとする態度。それが、たぶん、「哲学」を志す人間に要求される最大の資質である、という言い方をしておくことができるかもしれません。そして、「哲学ってなにをすることですか」という冒頭の問いに対しては、こんなふうに知的誠実さをつらぬこうとする態度こそが「哲学」という営みの特徴である、という答えを返しておくことができるかもしれません。

◆なんにせよ、「自分の頭で考えればそれでよい」ということなのでしょうか。

ときどき、そういう考えをもって進学してくる人がいますが、残念ながらそうではありません。

「自力で考える」ことは、往々にして、独りよがりな、穴だらけの思考に没入して浅はかな自己満足を導くだけの結果に終わります。それって、正直、みっともないことですよね。世の中には、わたしたちの想像もつかないほど精緻に、奥深く掘り下げて、さまざまな問題を考え抜いている人たちがいます。その意味で、「ものごとを真剣に、根っこのところまで問い抜いてみよう」と志すものにとって、古代のインド、中国、ヨーロッパから、キラ星のごとき現代思想の諸著作にいたるまで、幅広い文献を読み、検討するという作業はかかせません。実際、哲学・思想論分野では、いわゆる哲学の分野における文献を読み、内容を要約/検討し、発展的に議論する、というスタイルで授業が進められています。

もちろん、それは、「偉人の教えを有り難く頂戴する」態度とは全く異なります。孔子が言ったように、「思うだけで学ばない」のも「学ぶだけで思わない」のもダメなのです。ここで「じゃあ、いったいどうすればいいの? ああもう面倒くさい!」と思った人は、哲学向きではないかも知れません。逆に、「『孔子が言ったように』なんて言い方自体、教えを有り難く頂戴してるじゃん!」とツッコミたくなった人は、見どころがあるかも・・・。

ページの先頭へもどる