私が担当している「免疫・微生物学教室」では、微生物、つまり細菌とウイルスの両方を教えています。日本全国の医学部では、信州大学のように「微生物学」として細菌学とウイルス学の両方を教えている場合と、細菌学とウイルス学に分かれている場合とがあります。しかし、そもそも細菌は寒天プレートの上で増殖できますが、ウイルスは生きた細胞に寄生して増殖するので、両者は全く異なるものだといえるでしょう。
免疫・微生物学教室では、授業の3分の2は細菌学に費やしていますが、これは時代の流れと無関係ではありません。今の医学教育は、役に立つこと、つまり臨床で使えることに重点が置かれています。研究においても、その研究が何の役に立つのかが問われる時代です。ただ知的興味からの研究というのは受け入れられず、役に立つ研究だというアプローチが必須なのです。教育という観点でも、医学部生として役に立つ学生を育てることが求められています。これは文部科学省の方針ではありますが、それ以上に、学生たち自身が臨床において役に立つ教育を求めているという面が強いように感じています。
細菌学に重点が置かれているのも、それが臨床の役に立つからです。細菌感染症は抗生物質で治療ができますが、ウイルス感染症には基本的に薬剤がないので、治療とは結びつきにくい学問なんです。もちろん、HIVウイルスやヘルペスのように治療薬が存在するウイルスもありますが、ほんの一部にとどまります。ウイルスは細胞内寄生性であり、体内で増殖するので、ウイルスにとって有毒なものは私たちにとっても有毒になります。ですからウイルスの薬剤はないんです。一方、細菌の薬はバラエティに富んでいて、それを使い分ける必要があります。結果的に、授業では細菌学を中心に教えることになるのです。
授業というのは、教授の自由裁量で決まります。私は、次の時代に求められているのは何であるかを学生たちに先取りして教えることを意識しています。先取りしすぎるとどうしても授業は難しくなる。でも、それが意外にも学生からは好評なんですよね。
以前に医学部教育センターで行った学生アンケートによると、私の授業は学生の評判がよかったそうです。厳しい授業内容が評価されたんです。臨床医の土台となる教育をするという思いがあるので、「感染症に対応できるようになりなさい」という意識を持って授業を行っています。具体的には、まだ大学に入ったばかりの学生に、実際の症例を使って授業をしたんです。専門用語もそのまま授業に出したので、当然、内容は難しくなります。学生たちも当初はわからない言葉に面食らったり、聞き流していたようですが、そのうちに授業の目指すところを自覚するようになり、そうなると面白くなっていったようです。こういう授業の方向性が今の学生たちのニーズと合致したということでしょう。
ただ、実際に教えている内容は以前とそれほど変わっていないんです。細菌学は、1882年のコッホの結核菌発見以来100年以上にわたって医学研究が蓄積されてきました。特に、1980年代以降に遺伝子レベルでの解析が行われるようになると、一つひとつの細菌のメカニズムが蓄積されていき、現在は細菌学全体が網羅され、いわゆる「細菌学の生物学」「ウイルス学の生物学」の研究結果はすべてそろったといえる段階です。ですので、教える内容自体は変えようがないのです。ただ、ちょっとだけ臨床寄りという意識で、実際の症例を例に出して学生に教えたんです。微妙な違いなのですが、学生には大きなインパクトになったようです。
私はもともと免疫学が専門なのですが、免疫学では、重要な遺伝子はもうすべて取り尽くしたといわれています。ヒトゲノムプロジェクトはまだ進展していますが、免疫学上の大きな機能遺伝子はほぼ解明されているんです。大原則、原理・原則はすべてわかったので、これからの目標は、これまでの知見を治療に活かすことです。治療に結びつくような研究が、これからの大きな仕事になってくるのではないでしょうか。医学教育もかつては「最近こういうメカニズムが解明された」という授業内容だったのに対し、今は「こういう薬が開発されて、こういう治療法がある」というものに変わってきています。治療に結びつく学問を身に付けることができるのが、医学部というところなのです。
例えばHIVは、現在は研究が非常に進んでいて、ほとんど天命を全うできるまで生きられるようになりました。今では、いわゆるひとつの慢性感染症といってもいいような状況になっています。もちろん感染するとリスクは大きいのですが、感染した女性でも妊娠、出産が可能です。母体からの感染率は出産時が2%、つまり100人に2人という水準にまでなっているのです。それくらい現在は医学の進歩により、治療が発展しているのです。