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卒業生からのメッセージ

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信州大学医学部の思い出

投稿者名 浜田 陽 | 投稿日 09年05月25日 | 医学部医学科 昭和51年卒

信州大学医学部の思い出

松医会報、平成21年88号を見て、自分も卒後33年になるのか、、、、とさすがに懐かしく、昔の学生時代のことを思い出しました。私は卒後、阪大眼科へ入局し、その後、大阪南河内郡の近畿大学医学部眼科へと移り、眼科の手術、臨床の傍ら、当時京都大学病理学教室を定年退職され、近畿大学理事、病理学教室教授として赴任されていた岡本耕造教授のもとで高血圧自然発症ラットの「高血圧と眼の研究」にたずさわりました。その後関連病院の済生会富田林病院へ赴任してからも「高血圧と眼の研究」を続け、この間、弘前大学、東北大学、九州大学、山形大学などの眼科医局の先生方と研究を通じて友情を深めました。約3年前、55歳のころ体調を崩し、富田林病院を退職後は、うつ病になって落ち込んでいたとき、どん底状態から助け出してくれたのが信州大学医学部同窓の宜保君でした。
この今に至るまで眼医者(めいしゃ)として多くの患者さんや人々とともに人生を歩んできました。そして、今にして思い出すのは、卒業の時、信州の大学6年間で得たもの、「それは信州という名の如く、信州という国を信じ、信州という国を愛し、信州の人々を信じ、信州の人々を愛することを学んだ!」と、文集か何かに書き残して大阪にもどったことを思い出します。
ぼちぼち、私も60才にならんとする年令を迎え、学生の時、信州の残雪の山々を見ながら、「県(あがた)の森の松本高校」のあった、埋橋の下宿から毎日、自転車でギッチラ、ギッチラとペダルを漕いで、剣道の防具を後ろに積んで大学を往復したことを懐かしく思い出しています。