2024年度「夏季交流会」を開催しました。
2024.9. 3更新
8月25日(日)の長野県医学生修学資金貸与の学生を対象とした夏季交流会にて、東北大学文学研究科社会学専攻分野の田代志門先生に「患者の体験談から何を学ぶか~医学生・医療者のための社会学入門~」と題してお話しいただきました。
医療者の大半は、実際的な人文学的、社会学的な教育、訓練を十分に受けていないにも関わらず、臨床の場では、倫理的・社会的判断を経験(特に上級医や指導医をモデルとして)に基づいて行っています。医療における倫理的・社会的判断の妥当性は時代と共に変化おり、それに伴って医療における望ましい対応も変化して行く必要があります。このより所になるのが文化人類学・社会学などの社会科学と言えます。前回から引き続き令和4年度の医学教育モデルコアカリキュラム改訂版においてもこのような文系的教育が明記されいます。
以下が参加学生の感想抜粋です。
※医療の現場が「言葉」でできているという考え方に感銘を受けました。やはり医療は同業者間や患者さんとの間などコミュニケーションが必要な場面が多いので「言葉の専門家」であることの重要性が理解出来ました。
※医療の問題は必ずしも答えがあるわけではなく、その問題に対して言葉で語ることによって解決を目指そうとする姿勢がこれまでの私では思いつかない考え方であり、興味深く感じました。
※医療における言葉の重要性を感じた。我々は普段、医学を学ぶことはあっても医療を取り巻く他の学問(医療社会学や医事法学など)を体系だって学ぶ機会はなかなかないので、貴重な時間となってよかった。
※最近妹とDNARについて話をしていたのですが、私はどちらかといえば最後まで諦めずに治療をした方がいいのではないかと言う意見を持っていました。しかし、看護師として働いている妹は、働いている側として、DNARを尊重する立場でした。妹に、私は働いていないから分からないんだと言われ、その通りなのかもしれないと思いつつも、それでも最後まで諦めないで生きて欲しいと思うのはいけないことなのかと、私の意見は医師になった時間違いと判断されてしまうのかと悩んでいました。しかし、今回、医師として死の宣告をしなければいけない立場と、看護師や当直医の、急変時の対応をはっきりとしてほしいという立場があるという話から、医療従事者の中でも意見が違ってもいいんだと思い至りました。実際には先生が伝えたかった内容とは違うかもしれませんが、それでも私にとってはその考え方で一つ悩みが解決したようでした。 それ以外の話も、非常に参考になることが多かったです。貴重なお時間をいただき、ありがとうございました。
※言葉で正確に表すことや、それぞれの言葉の捉え方の齟齬について、まだ実臨床には出ていないが患者さんや医療従事者の中で統一して治療やケアに当たっていくことの難しさを感じた。今後OSCEが終わると遂にポリクリが始まるが、知識や診察に必要な最低限の会話だけではなく、患者さんに興味を持ってなんでも話して良いと感じて頂ける雰囲気を作れたらと思った。
※医療現場への文学的な切込みは、すごく新鮮で面白かったです。 特にお話で出てきた「闘病」という言葉には自分も少し違和感を感じていました。身体は病気や怪我という形で無理がかかっていることを自身に報せているものであって、もちろん「敵」ではないですし、なんなら自分をより良くする場合もあるのではと今日のお話を聞いて思いました。昔のように白黒つける、ではなくグレーが認められてきた現代のように、病気もただ悪いものとしてではなく寄り添うことができれば、自己と病を切り離した「回復の語り」は自然となくなるのかなとも思いました。 ただ、回復の語りが患者さんの生きる原動力になることもあるでしょうし、そこの塩梅はすごく難しいとも感じました。 患者さんの気持ちに寄り添った言葉をかけられるよう、言葉のセンスを高めていきたいです。
※言葉による患者医師間のコミュニケーションについて、システマチックになりすぎている現状に危機感を感じた。