部長の挨拶

社長

 臨床検査部は中央診療部門の一つです。正確な検査結果を臨床医に迅速、確実、安全にお届けして診断・治療に貢献することが重要な役割です。信州大学医学部附属病院は長野県内唯一の特定機能病院であり、多くの高度先端医療を必要とする患者が来院します。臨床検査部はこれら先端医療の基盤となる検査を担当しております。国際規格の臨床検査室認定のISO 15189を臨床検査部は取得しており、様々な臨床検査において検査結果の精度を保証しております。また病理検査室においても認定を取得しており、精度が保証されております。
 信州大学医学部附属病院は、都道府県がん診療連携拠点病院、およびがんゲノム医療拠点病院に指定されており、長野県におけるがん診療の中核を担っております。質の高い最先端医療を提供することが求められており、臨床検査部は重要な役割を担っております。がん遺伝子パネル検査の保険適応をきっかけに、がんゲノム検査が、がん診療に本格導入されました。臨床検査部もがんゲノム医療拠点病院として遺伝子パネル検査を実施する窓口として、病理検査室や遺伝子検査室の医師や臨床検査技師が連携し検査を行っております。がんゲノム医療拠点病院指定にあわせバイオバンク信州を臨床検査部内に設立いたしました。バイオバンク信州は、患者さんの同意のもとに、がん組織の試料や診療情報を収集し、匿名化して保管し、信頼できる医療関係者に提供し、新たな治療薬開発など、医学の進歩に貢献することを目的としております。新たな予防法・治療法の開発への協力も臨床検査部の重要な役割であります。
 新型コロナウイルスの世界的な感染拡大は医療現場に大きな混乱をもたらしました。臨床検査部は医師と臨床検査技師一丸となって、正確で迅速な検査結果を提供するのはもちろん医療を支える屋台骨となり現場を支え、この難局克服に貢献していく所存であります。

令和4年8月

信州大学医学部附属病院臨床検査部部長
上原 剛

会社沿革

1944(S19) 松本医専が発足
1945(S20)  鷹匠町の旧松本市営病院が附属病院に移管される。
病理研究科として、化学・細菌・血清・病理等の臨床検査を受けたが臨床教室が充実するにつれ、技師は各科に引き取られ、病理・写真室だけが残る。
1953(S28)  外来棟のほとんどを焼失。
旭町連隊跡地の基礎教室のある大学敷地へ新病院建設の方針が作られる。
1958(S33)  中・北病棟の新築が決まる。
中央検査部検討委員会発足したが、中央検査部の必要性は当時の病院としては認識が低く、予算は検討中。衛生検査技師法が設立。
1959(S34)  第1回検査技師国家試験施行。
1960(S35)  中・北病棟の完成を待って中央検査部が認可され、予算がついて正式に準備期間に入る。
5月に中検運営準備委員会発足、12月に同委員会解散。新たに検査業務の運営を審議する運営委員会が構成される(当初中検は、中央手術部、中央材料部、分娩部等が同居する形であった)。
1962(S37)  教官定員が付き、正式に中央検査部が発足。
石井善一郎教授の併任部長のもと、金井正光先生が助教授として着任する。
1963(S38)  第2代部長として戸塚忠政教授が就任する。
1966(S41)  東京大学と共に国内国立大最初の輸血部を設ける。
信州大学医学部附属衛生検査技師学校が認可される。
1973(S48)
金井正光助教授が初代専任教授(第3代中央検査部長、専任としては初代)に選任され、丸山雄造講師が助教授へと昇任する。
1976(S51)  野本昭三助手が信州大学医療技術短期大学部に講師として赴任する。
1983(S58)
大学の南隣に長野県がん検診・救急センターが発足し、同検査部長として丸山雄造助教授が赴任。その後任として第2病理学教室から勝山 努助教授が着任する。
1985(S60)  三原隆夫技師長が退官し、後任として川上由行技師が着任する。
1986(S61)  医学部に臨床検査医学講座が新設される。
1987(S62)  全国国立大学附属病院に先駆けて当直体制をスタートする。
1989(H1)
生化学検査、血液検査が高度に自動化され、国立大学では佐賀医大と並ぶリアルタイムレポート体制が実現される。
1990(H2)  全国の国立大学病院に先駆けて遺伝子検査室を設置。
1992(H4)  臨床検査法提要の金井 泉先生が逝去される。
金井正光教授が退官され、勝山 努助教授が中央検査部長、臨床検査医学講座教授に着任する。
第1回信大臨床検査セミナーが開催される。
1996(H8) 遺伝子・染色体検査に拡充。
1998(H10) 同門会報第1号が発行される。
3月に細菌学教室の松本頴樹先生が逝去される。
6月に山上 修技師長が逝去され、後任として戸塚 実副技師長が着任する。
2000(H12) 中央検査部設立40周年記念会開催。
2002(H14) 「中央検査部」から「臨床検査部」に改名される。
2003(H15) 信州大学医療技術短期大学部(3年制)は医学部保健学科(4年制)に昇格する。
勝山 努教授が附属病院長に就任し、検査部長と併任する。
日高宏哉副技師長が信州大学医学部保健学科検査技術学専攻助教授として赴任され、後任として羽山正義主任が着任する。
臨床検査部は北・南中央診療棟に移転し、新しいシステムと装置を導入して新検査室がオープンする。新たに中央採血室も設置。
2004(H16)
戸塚 実技師長が東京大学医学部附属病院臨床検査技師長に赴任され、その後任として山内一由技師が着任する。
上野一郎副技師長が香川県立保健医療大学教授として赴任され、後任として熊谷俊子主任が着任する。
羽山正義副技師長が信州大学医学部保健学科検査技術学専攻助教授として赴任され、後任として日高恵以子主任が着任する。
2005(H17) 臨床研究支援室を設置。
2006(H18) 先端細胞治療センター(CPC)設置。CPC支援業務スタート。
2007(H19) 新外来棟着工。
2008(H20) 3月末、勝山努教授退職。