歴代部長

歴代技師長

部長の挨拶

社長

検査部門はdoctor’s doctorといわれている部門ですので、直接的には医師にアドバイスする部門です。
 医学部の病態解析診断学教室は病院臨床検査部と一緒に運営されています。さらに、 臨床検査部に検査部と病院病理部(外科病理)が分かれないで同居しているのが特徴で、 医師11名、臨床検査技師52名、事務員2名で構成されています。6名の医師は外科病理医で、臨床検査専門の医師は私を含めて2名です。欧米の臨床検査部門(Pathology)にはClinical Pathology とSurgical Pathologyがあるので、信州大学臨床検査部は欧米型ということになります。

 外科病理診断において顕微鏡による形態学的所見が主な診断根拠になることは現在もかわりませんが、遺伝子検査、フローサイトメトリー、細菌学的検査などの所見なしには診断不可能な症例も多くなっています。外科病理医も顕微鏡所見だけではなく、他の検査を十分に活用して診断をしたほうが、臨床への(最終的には患者への)貢献度がより高くなると考えています。したがって、臨床検査部では、Anatomic pathologist (病理専門医:AP)とClinical Pathologist (臨床検査専門医: CP)のダブルライセンス取得を推奨しています。

 私の経歴ですが、2年前の時点で臨床検査医、肺病理医、呼吸器内科医とinfection control doctor の仕事を17、27、30、15年間従事し合計すると89年になります。一方、4つの役割を同時に行っていた場合1年を1/4年として補正すると、それぞれ4.42、9.42、12.42、3.75年となり、呼吸器内科医でも12年半、臨床検査医に至っては5年半の経験しかないことになります。私のハイブリッド人生は、医師になって4年目から始まりました。肺病理のわかる呼吸器内科医を目指して外科病理に首を突っ込んでいたら、いつの間にか臨床検査と感染制御も行うようになっていました。医学において、ある分野で専門家になることが重要であり、“二兎追うものは一兎も得ず”という考え方が主流ですが、私が歩んできた道はまさにハイブリッドで、良いか悪いかは別としてそれなりに楽しかったし、現在の臨床検査部長職には適任ではないかと自画自賛しています。

 人は一度に3つまで行なえるとされています。一度しかない人生ですので、1つの道だけを歩むのは少しもったいないような気がします。信州大学臨床検査部では、どちらか片方だけでもよいのですが、この2つをどのような割合にも組み合わせることができます。ますは、我々と一緒に外科病理検査と臨床検査の面白さに触れてみませんか。

技師長の挨拶

社長

準備中。


会社沿革

1944(S19) 松本医専が発足
1945(S20)  鷹匠町の旧松本市営病院が附属病院に移管される。
病理研究科として、化学・細菌・血清・病理等の臨床検査を受けたが臨床教室が充実するにつれ、技師は各科に引き取られ、病理・写真室だけが残る。
1953(S28)  外来棟のほとんどを焼失。
旭町連隊跡地の基礎教室のある大学敷地へ新病院建設の方針が作られる。
1958(S33)  中・北病棟の新築が決まる。
中央検査部検討委員会発足したが、中央検査部の必要性は当時の病院としては認識が低く、予算は検討中。衛生検査技師法が設立。
1959(S34)  第1回検査技師国家試験施行。
1960(S35)  中・北病棟の完成を待って中央検査部が認可され、予算がついて正式に準備期間に入る。
5月に中検運営準備委員会発足、12月に同委員会解散。新たに検査業務の運営を審議する運営委員会が構成される(当初中検は、中央手術部、中央材料部、分娩部等が同居する形であった)。
1962(S37)  教官定員が付き、正式に中央検査部が発足。
石井善一郎教授の併任部長のもと、金井正光先生が助教授として着任する。
1963(S38)  第2代部長として戸塚忠政教授が就任する。
1966(S41)  東京大学と共に国内国立大最初の輸血部を設ける。
信州大学医学部附属衛生検査技師学校が認可される。
1973(S48)
金井正光助教授が初代専任教授(第3代中央検査部長、専任としては初代)に選任され、丸山雄造講師が助教授へと昇任する。
1976(S51)  野本昭三助手が信州大学医療技術短期大学部に講師として赴任する。
1983(S58)
大学の南隣に長野県がん検診・救急センターが発足し、同検査部長として丸山雄造助教授が赴任。その後任として第2病理学教室から勝山 努助教授が着任する。
1985(S60)  三原隆夫技師長が退官し、後任として川上由行技師が着任する。
1986(S61)  医学部に臨床検査医学講座が新設される。
1987(S62)  全国国立大学附属病院に先駆けて当直体制をスタートする。
1989(H1)
生化学検査、血液検査が高度に自動化され、国立大学では佐賀医大と並ぶリアルタイムレポート体制が実現される。
1990(H2)  全国の国立大学病院に先駆けて遺伝子検査室を設置。
1992(H4)  臨床検査法提要の金井 泉先生が逝去される。
金井正光教授が退官され、勝山 努助教授が中央検査部長、臨床検査医学講座教授に着任する。
第1回信大臨床検査セミナーが開催される。
1996(H8) 遺伝子・染色体検査に拡充。
1998(H10) 同門会報第1号が発行される。
3月に細菌学教室の松本頴樹先生が逝去される。
6月に山上 修技師長が逝去され、後任として戸塚 実副技師長が着任する。
2000(H12) 中央検査部設立40周年記念会開催。
2002(H14) 「中央検査部」から「臨床検査部」に改名される。
2003(H15) 信州大学医療技術短期大学部(3年制)は医学部保健学科(4年制)に昇格する。
勝山 努教授が附属病院長に就任し、検査部長と併任する。
日高宏哉副技師長が信州大学医学部保健学科検査技術学専攻助教授として赴任され、後任として羽山正義主任が着任する。
臨床検査部は北・南中央診療棟に移転し、新しいシステムと装置を導入して新検査室がオープンする。新たに中央採血室も設置。
2004(H16)
戸塚 実技師長が東京大学医学部附属病院臨床検査技師長に赴任され、その後任として山内一由技師が着任する。
上野一郎副技師長が香川県立保健医療大学教授として赴任され、後任として熊谷俊子主任が着任する。
羽山正義副技師長が信州大学医学部保健学科検査技術学専攻助教授として赴任され、後任として日高恵以子主任が着任する。
2005(H17) 臨床研究支援室を設置。
2006(H18) 先端細胞治療センター(CPC)設置。CPC支援業務スタート。
2007(H19) 新外来棟着工。
2008(H20) 3月末、勝山努教授退職。