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  • 生物学コースの東城幸治教授の研究グループが日本列島のヒメオオクワガタとブナの地理的遺伝構造を解明しました。

DNA解析から紐解くヒメオオクワガタとブナの共進化!
強い寄主特異性に因る, 深い進化的「絆」を究明
Entomological Science Award 2023 受賞

2024年4月18日
【研究成果のポイント】
・ヒメオオクワガタは日本列島のブナ林に生息し,幼虫は主にブナ枯死木を餌として利用します
・ヒメオオクワガタの分布域を網羅する遺伝子解析により,地理的遺伝構造を解明しました
・ヒメオオクワガタの遺伝的多様性は,南西から北東にかけて低下する傾向がみられました
・ヒメオオクワガタの日本海側と太平洋側の個体群間での遺伝的分化が検出されました
・これらの遺伝構造は,寄主であるブナの地理的遺伝構造と合致しました
・ヒメオオクワガタの移動分散は,ブナ林の分布変遷に強く依存することが示唆されました

【背景】
 ブナ Fagus crenataは日本列島の冷温帯落葉広葉樹林の優占樹種である。主にブナから成る森林はブナ林と呼ばれ,北海道南部から中部地方にかけての日本海側では標高200〜1,400mにかけて広域連続的に分布している。一方で,中部地方の太平洋側から四国,九州のブナ林のほとんどが標高1,000m以上の山地に孤立散在的に分布している。現在よりも寒冷かつ乾燥が厳しかったとされる氷期には,ブナ林はより南方の海岸沿いのレフュジアに逃避し,日本海側と太平洋側に個体群が分断された。その後の間氷期には,東北日本の温暖化と湿潤化にともないブナ林も北方へと分布を拡大した一方で,西南日本では高標高へと移動し,現在のような分布となった。このような更新世の気候変動にともなうブナ林の分布変遷は,日本列島のブナ個体群の地理的な遺伝構造に強い影響を与えている。哺乳類,鳥類および昆虫などの広範な分類群がブナ林を主な生息地として利用しており,ブナ林の分布変遷はこれらの生物種群の遺伝構造にも影響を及ぼしてきたと予想される。しかし,ブナのみを餌とするようなブナ依存的な分類群を扱った分子生物地理学的研究は実施されておらず,ブナ林の分布変遷がそれらの生物種の遺伝構造に及ぼした影響は,これまでのところ検出されていない。
 日本固有種であるヒメオオクワガタ Dorcus montivagusはブナに強く依存した生態をもつ。メス成虫は白色腐朽菌によって朽ちたブナ枯死木に産卵し,幼虫はブナ枯死木を食べて成長する。そのため,ヒメオオクワガタの分布は日本列島のブナ林の分布とよく合致する。
そこで本研究では,ヒメオオクワガタの分布域を網羅する広域的な地域個体群を対象に,遺伝的分化や地理的な遺伝的変異パターン,および個体群動態を解析し,寄主であるブナの分布変遷がヒメオオクワガタの地理的な遺伝構造に及ぼした影響の解明に取り組んだ。

【結果・考察】
 ミトコンドリアDNA(mtDNA)COI領域および16S rRNA領域の塩基配列に基づく系統解析の結果,ヒメオオクワガタは北海道,本州,四国の集団から成る系統(クレードI)と九州の個体群のみで構成される系統(クレードII)の大きく2系統に分化した(図1)。この結果は,九州の個体群を別亜種として扱う形態形質に基づく分類体系を支持するものである。
さらに,系統解析および遺伝構造の地理的まとまりを検出する解析 (SAMOVA)を実施した結果,両系統ともに日本海側の個体群と太平洋側の個体群の間で遺伝的な分化が認められ,先行研究におけるブナの系統分化と合致した。また,日本海側の個体群と太平洋側の個体群は約100万年前に分化したと推定され,更新世の「氷期-間氷期」周期が4万年周期から10万年周期へと変化した時期と一致した。これらの結果から,約100万年前以降の氷期にはブナ林がそれまでよりも長い期間日本海側と太平洋側の沿岸部のレフュジアに分断され,ヒメオオクワガタの遺伝的分化も促進されたことが示唆された。
図1.ヒメオオクワガタの系統関係と地理的な遺伝構造.各分岐における値は支持率(ベイズ法による事後確率/最尤法によるブートストラップ値)を示し,エラーバーは分年代推定の95%信頼区間を示す。地図上の地点はサンプリング箇所を示し,記号はSAMOVAに基づく遺伝構造の地理的まとまりを表し,系統樹右横の記号と合致する。系統解析の結果,クレードI(遺伝系統I)では中部地方太平洋側および四国西部の個体群からなるサブクレードI-aが検出された。SAMOVAの結果,クレードII(遺伝系統II)の九州北部個体群と九州南部個体群の間で遺伝的分化が検出された。両クレードともに日本海側と太平洋側の個体群間の遺伝的分化は約100万年前ごろと推定された。
 ヒメオオクワガタのmtDNAのハプロタイプ(*1)多様度および塩基多様度は,西南日本から東北日本にかけて減少する地理的な傾向が認められ,ブナの地理的な遺伝的変異パターンと合致した。また,東北地方以北の個体群は共通ハプロタイプ(図2; H4)とそれから一塩基置換で派生する少数のハプロタイプから構成され,比較的短期間に個体群サイズが増加したことが示唆された。個体群動態解析の結果からもクレードIの近年の個体群サイズの増加,特に中部地方以北の個体群における個体群拡大が支持された。すなわち,最終氷期最寒冷期以後の東北日本の温暖化と湿潤化はブナ林の北方への急速な分布拡大を引き起こし,ヒメオオクワガタの北方個体群形成の際に創始者効果(*2)によって遺伝的多様性が低下したと思われる。一方で比較的遺伝的多様性が高い西南日本においては地域個体群ごとに固有のハプロタイプが検出されるとともに,ハプロタイプ同士がループ構造をもつ地理的なまとまりを示し,長期間にわたり個体群サイズが安定維持されてきたと予測される。この結果から,氷期において西南日本では太平洋側を中心に複数のブナ林のレフュジアの存在が支持され,後氷期にはその多くが内陸の山地に移動するのみで北方への分布拡大は生じなかったと考えられる。
図2.mtDNA COI領域に基づくヒメオオクワガタのハプロタイプネットワーク.各ハプロタイプのサイズはハプロタイプに含まれる個体数を示し,色は地域を示す。東北地方以北では多くの個体群がハプロタイプH1を共有し,それから一塩基置換で派生する少数のハプロタイプから構成される。西南日本では地域固有のハプロタイプが検出されるとともに,地理的なまとまりを示す。
 本研究によりヒメオオクワガタの地理的な遺伝的分化および遺伝的変異のパターンが寄主であるブナのそれと合致することが明らかになった。この結果は,更新世の気候変動によるブナ林の分布変遷が,ヒメオオクワガタの移動分散を強く制限してきたことを示唆すとともに,将来危惧される気候変動(温暖化)にともなうブナ林の衰退が生息する生物種の遺伝的多様性に及ぼす影響を理解する上で重要な知見である。
今後はゲノムワイドな遺伝マーカーを用いることで個体群遺伝構造や個体群動態,環境適応について調査し,ブナ林とヒメオオクワガタの相互作用についてより詳細に評価する予定である。

【用語解説】
(*1)ハプロタイプ:ミトコンドリア遺伝子等の半数体を扱う場合の遺伝子型をハプロタイプと呼ぶ
(*2)創始者効果:ある場所に生息する集団が少数の個体に由来する場合,遺伝的浮動の影響が大きくなり特定の対立遺伝子に固定されやすくなるため,遺伝的多様性の減少をもたらす

【論文タイトルと著者等】
タイトル:The phylogeography of the stag beetle Dorcus montivagus (Coleoptera, Lucanidae): Comparison with the phylogeography of its specific host tree, the Japanese beech Fagus crenata

著者:Gaku UEKI, Koji TOJO

掲載誌:Entomological Science

掲載日:2023年2月(2024年3月 Entomol Sci Aeard 受賞に伴い,論文がフリーアクセス化)

URL:https://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1111/ens.12535

D O I:10.1111/ens.12535

Gaku UEKI 上木岳(研究当時:信州大学,現所属:東京大学) 筆頭著者
Koji TOJO 東城幸治(信州大学)責任著者
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