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窪田 陽介

窪田 陽介

数学科

講座:幾何学分野
略歴:
2017年,東京大学数理科学研究科博士課程修了(学位:博士(数理科学)).理化学研究所研究員を経て,2020年4月より現職. 専門は非可換幾何,指数理論.
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非可換幾何学からすべてへ

現在の研究テーマ:高階指数理論

 私の研究の目的は「非可換幾何学」という理論を様々な数学の現場に応用することにあります.現在の研究テーマというといろいろあるのですが,ここではそのうちの一つについて紹介します.多様体という種類の空間(あるいは図形)の,トポロジー(いわゆる "柔らかい幾何学" )の話です.

 10年ほど前,PerelmanによるPoincaré予想の解決は,世紀の大結果として大きなニュースになりました.一方で,5次元以上の多様体に対する同様の予想は実はもっとずっと前,1960年代に解決されています.一般に,トポロジーは4次元以下と5次元以上で振る舞いが大きく変わり,(意外にも)5次元以上の方がものごとがより易しくなることがよく知られています.これをもって,4次元以下のことを「低次元」,五次元以上のことを「高次元」と言って区別したりもします.私が興味を持って研究しているのは高次元のトポロジーの方です.

 高次元トポロジーにはとても重要な,興味深いスローガンが存在します.それは,「空間の複雑さ・難しさは,その基本群の複雑さからおおよそ決まる」というものです.「群」というのは代数的なオブジェクトです.基本群とはなにかを正確に述べるのは難しいので手短に説明すると,対象となる空間の中のループ(輪っか)たちを集めてくると,その集合が実は群をなしており,これが基本群と呼ばれています.そして,トポロジーとは別の数学分野に "幾何群論" という領域があって,そこでは群の「かたち」やその複雑さを調べる方法論が蓄積されています.幾何群論的な意味で基本群が簡単であるとき,その空間の微分トポロジーもまた簡単である,逆に基本群が難しいときには微分トポロジーも難しい,ということが起きている,というのが上のスローガンの述べるところです.

 基本群の解析・幾何と空間のトポロジーは,一見するとかなりかけ離れた二つの数学分野で,これらが関わりを持つというのは非常に非自明なことです.そして,これらの橋渡しをする数学理論(の有力なひとつ)が私の専攻する非可換幾何学,特に高階指数理論と呼ばれる理論です.

研究領域:非可換幾何学

 非可換幾何学の起源は1963年,Atiyah-Singerの定理に遡ります.

\[ \mathop{\mathrm{Index}}(D) = (-1)^n \int_{T^*M} \mathop{\mathrm{ch}}(\sigma(D)) \cdot \hat{A}(M)^2 \]

 この定理は,解析的な微分方程式の解のなす空間の次元(左辺)と,特性類(の積分)と呼ばれるトポロジー的な量(右辺)が一致するということを主張しています.解析と幾何の合流する場所にちょうど存在する美しい定理です.AtiyahとSingerは,この定理を見通しよく証明するために,関数解析学とトポロジーを巻きこんだ指数理論(index theory)と呼ばれる壮大な機構を作り上げました.指数定理の証明から50年以上経った現在でも,この機構はどんどん掘り下げられ,より洗練されていっています.特に重大だったのが,関数解析とトポロジーの橋渡しとして作用素環(operator algebra)という概念を取り入れたことです.これによって指数理論は一層大きく,多様な方向に発展し,微分トポロジー,作用素環論,表現論,幾何学的群論などを巻き込んだ巨大な理論に成長しました.特に微分トポロジーでは,当時から重要な問題と考えられていたNovikov予想の研究に対して大きな進展をもたらしました.

 Connesの提唱した「非可換幾何学」は,この指数理論を含む壮大なプログラムです.ここで言う「非可換」とは,積の交換法則$AB=BA$が成り立たない状況のことを指しています.これは例えば,線形代数における行列の積が持っている特徴で,実際に非可換幾何では作用素,つまり無限次元の行列を主に扱います.そのコンセプトは,「非可換な(作用素)環を,空間を研究するのと同じように研究しよう」というものです.実は,C*-環(作用素環)というのは空間の概念の"非可換な一般化"という風にみなすことができることが知られています(Gelfand-Naimark定理).そこで,空間を研究するための手法の射程を,より広くC*-環に延長してやろうというわけです.Connesはこの思想に基づいて,群の作用や葉層といった複雑な力学系を"非可換な空間"とみなすことで様々な幾何的手法の射程にとらえることに成功しました.加えて,量子力学(まさに位置と運動量の非可換性が本質的な役割を果たします)的な空間を記述するということまで見据えています.

 ひとつの典型的な例は非可換トーラス(無理数回転環)です.2次元トーラス

\[\{ (z,w) \in \mathbb{C}^2 \mid |z|=1,|w|=1\} \]

の上の関数のなす代数は,$2$変数の多項式環$\mathbb{C}[z,z^{-1}, w, w^{-1}]$とおおよそ同一視できます.このとき$z$と$w$の積は交換法則を満たす,つまり$zw=wz$を満たすことに注意してください.この関係式を少しいじって

\[zw=e^{i\theta }wz\]

に取り換えた代数が非可換トーラスです.非可換トーラスは非常に普遍的な数学的対象で,例えば物性物理の理論の中にも現れます(興味のある人は "Hofstadter's butterfly" というキーワードで検索してみてください)し,Connesの理論との関係で言うとKronecker葉層と呼ばれる力学系(下図)に対応する"非可換空間"に他なりません.