出会い、そして医学とscience

相澤 徹(あいざわ とおる)教授医学教育センター・センター長    2009.01.30

人生は出会いの連続であり、どのような人に出会ってどのような影響を受けたかによっておよそその人の人となりが定まるように思う。私はこれまで幸いにして多くの素晴らしい方々との出会いに恵まれてきた。医学・医療の領域では、信州大学名誉教授の山田隆司先生,Oregon大学のMonte Arnold Greer先生,愛知学院大学名誉教授の仁木厚先生の3人の方々との出会いが,私の現在の生き方を決定づけた。

二足の草鞋をはくこと。これを山田先生は繰り返し強調しておられた。山田先生のおっしゃった「二足の草鞋をはくこと」は,physician scientistたるように努力すること,という前向きな肯定的な意味をもつ。立派な医師でありかつすぐれた科学者であることが理想、少なくともそれを目指して一生努力することが大学人の当然の責務である,という信念を強く主張し、ご自身も常に自らを厳しく律しておられた。

仁木厚先生からは現役時代に研究室にお邪魔して膵ラ氏島の単離実験の手ほどきを受けたが,夕刻研究室から流れた名古屋の焼鳥屋で、旅の人になってはいけない,と言われた。仁木先生のおっしゃる「旅の人」は,流行の最先端を追う(だけの)研究をし続ける一群のscientistsを指しており,こうした研究態度に対する極めて厳しい批判である。

Greer先生の言葉で最も強く印象に残っているのは「自分が大事で意味があると信念を持てる確実な研究成果は、何回rejectされても(!)必ずどこかの雑誌で論文にすること」という言葉である。徹底した文献的渉猟と系統的だった過去の実験データの解析にもとづいて、考え抜いた作業仮説を立てて、これを丁寧に、正直に検証すれば,必ず意味のある研究結果が得られる。しかし,学術雑誌に受理されるかされないかは別の次元である。先進的な視点に立った研究成果であればあるほど査読者(ごときのscientist)にその重要性が理解できないのは当然である,と言って泰然自若としておられた。

ところでscienceと医学を考える上で興味ある事実が存在する。ノーベル生理学・医学は最初の10年間(1901-1910年)に12人が受賞しているが、その内11人が医師である。これに対して最近10年間(1995-2004年)には23人が受賞し、その内医師は6人である。最初の10年間にノーベル賞を受賞した研究テーマの半分は感染症または免疫に関する研究であった。一方、最近の10年間には感染・免疫に関する研究は2件で、他のテーマは初期胚発生、一酸化窒素、細胞質内蛋白局在、神経系情報伝達、細胞周期、器官発生・アポトーシス、MRI嗅覚などである。医学・医療のscienceが感染症を初めとする多くの急性疾患を克服して、健康障害を起こしうるさらに上流のイベントに挑戦している、という解釈も成り立つのではないかと考えている。

(信州医誌0000号、巻頭言から抜粋)

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