「WhyとHow」―医学研究での学び

谷口 俊一郎 (たにぐち しゅんいちろう)教授  医学系研究科・加齢適応医科学系専攻・分子腫瘍学  2009.01.30

 

大学紛争真っ盛りの大学に一応入学したものの、荒んだ雰囲気で失意と後悔の学生生活だった。そんな中、受験生活ではじっくり考えられなかった「数、言葉や物質の起源」について思いを馳せ、また考えること自体はどういうことかなどと、下手の考え休みに似たりの日々を過ごした。また、何の為の学問か、そして自分の存在の意義は何かと問いが広がると、答えの無い世界に迷い込んだ。政治活動家には「お前が専攻している物理学は原子爆弾を作った、けしからん」という非難を、今でこそ理不尽で短絡した非難と思うが、まともに受け入れ素朴な心を痛めた。まさに、「17,18,19と私の人生暗かった」という歌謡曲歌詞そのものだった。そのうちに、生きているという実感を与えてくれそうな生命科学、世の為になると言い訳できそうながんの研究に興味を持ち、大学院では生命科学系へと進んだ。物理の指導教官には留まるよう諭されたが、聞く耳は持てなかった。そして、その助言を無視したことに少なからず後悔の念を引きずりつつの根無し草的研究生活が始まり、今日に至っている。

そんな状況下、気分が充実している時は物理や数学の本を読んだが、憂鬱になると「生命科学」を勉強し、生きている実感を味わおうとした。ある時カルナップ著「物理学の哲学的基礎」をひもとき、「科学は事象の背後にある意義すなわち形而上的意義を求めて何故(Why)と問うべきではなく、ありのままを如何に(How)と問うて形而下的事象を記述すべきである」という一文を見出し、わが意を得たりと思うと同時にそれまで受けた科学教育の中で自分が何を悩んできたかを改めて確認し、歴史上の科学革命を自分の中で追体験できた。従来、何か分かった気がしないと悩んできた自分を振り返り、WhyHowの問いの混同故と明確に認識したのである。しかし、同時に科学ではWhyに対する答えが得られない虚しさを改めて感じた。それから約35年過ぎた今、Whyという問いは重要であり、それが伴う動機がなければ自然科学は面白くないし、逆に自然科学がHowと問いかけ、自然のありのままを謙虚に記述した成果はWhyと問う自分に大きな影響を与え得ることを学んだ。

今日、科学は形而下の問題を扱うと常識化したためか、WhyHowを意識的に区別する自然科学者は少ない。WhyHowに私が拘る理由は、自然そして人間存在の目的や意義という形而上的問い(Why)、自然そして人間の仕組みや在り様に関する問いあるいは生きる術という形而下的問い(How)、それぞれを尊重しつつ互いに区別することが諸々を明確に理解するために必要と思うからである。目に見えない真理があるし、目に見える真理があり、それぞれ重要であり、いずれに偏っても健全ではない。

自然科学研究の中でも医学研究と取り組みWhyと問う自分が大きく影響を受けた学びの一例は「細胞計画死」である。これは今日のがん研究でも重要な領域を占め私自身も関わっている。「細胞には核があり、そこには宇宙の知恵」が詰まっていると宮沢賢治が言った。生きる為の情報がDNAの中に書かれ、そのことによって地球における生命の流れを維持してきたと思うと「宇宙の知恵」と言う表現に対し然りと頷ける。一方、「細胞計画死」の研究は、そのDNAの中に死ぬための情報も書かれていることを明らかにした。生と死の情報が共存しているという、この驚くべき事実は私達の生命が如何に制御されているかというHowという謙虚な形而下的問いの結果、見出された。しかし、この事実は何故生きるのか、何故死ぬのかというWhyという形而上的問いに対して、大きな影響を与えた、少なくとも私自身には、大変なインパクトがあった。「細胞計画死」は私達の個体が健全に生きるために必要なのである。「細胞計画死」が出来ないと自己免疫疾患やがんという病気になる。また、個体の死がなければ、地球上の生命の存続はできない。死によって個体がそして大きな生命の流れが存続しているという現実を再度学習した。何かしら、死に対する恐れや忌み嫌う先入観が薄れ開放感を伴う積極的意義を見出した喜びがあった。「細胞計画死」の学びは、一見冷たくあるいは無味乾燥にHowと問う科学が、Whyという答えの無い問にも拘る私に温かい何かを提供してくれたように思う。形而上的事柄と形而下的事柄のフィードバック的相互関係を体得した喜びがあった。医学研究に携わっていてよかったと思った一例である。

信州医誌2008年6月号の巻頭言より改訂

関連情報

NOW PRINTING