研究成果のポイント

 リチウムイオン電池の代表的な正極材料であるNi-Co-Mn系層状酸化物(NCM)では、同じ化学組成・同じ結晶構造であっても、Ni、Co、Mnの「並び方」は一つではありません。本研究は、その膨大な原子配置を有限温度の統計力学として捉え、原子の並び方の多様性が電池材料の性質を左右することを明らかにしました。

  •  本研究で用いた240原子のNCM523モデルでは、Ni、Co、Mnの原子配置は約1025通りに達します。NCM622では約1023通り、NCM811でも約1015通りの配置が存在し得ます。

  •  マルチカノニカル・モンテカルロ法とニューラルネットワークポテンシャルを組み合わせ、0 Kでの最安定構造や静的な特殊準ランダム構造(SQS)*1だけでは捉えられない、有限温度における広大な「配置空間」*2を統計力学的に評価しました。

  •  Ni、Co、Mnの割合が比較的均衡したNCM523、NCM622では、Niを多く含むNCM811よりも原子配置の自由度が大きく、配置エントロピー*3による安定化が顕著であることを示しました。

  •  低温では原子間相互作用によって特定の局所秩序が選ばれる一方、温度が上がると「より多くの並び方を取り得ること」そのものが材料の安定化に寄与します。すなわち、エネルギーとエントロピーの競争によって、有限温度で現れる原子配列が決まります。

  •  さらに、原子配列の違いが局所的な価数状態を変え、開回路電圧や酸素安定性にも影響することを示しました。原子の「並び方」は単なる構造上の違いではなく、電池材料の機能に結び付く重要な因子です。

  •  本成果は、「どの元素を、どれだけ入れるか」という従来の組成設計に加え、「その組成で原子がどのように並び得るか」という配置空間を新たな設計自由度として捉える材料設計指針につながるものです。



【概要】

 信州大学アクア・リジェネレーション機構のNguyen Tien Quang准教授、是津信行教授、古山通久教授の研究グループは、リチウムイオン電池の代表的な正極材料であるNi-Co-Mn系層状酸化物(NCM*4*4について、同じ化学組成でも膨大な数の原子配置が存在し、その配置の多様性と配置エントロピーが有限温度での構造と性質を左右することを、大規模原子シミュレーションによって明らかにしました。

 NCMでは通常、Ni、Co、Mnの組成比を変えることで容量や安定性などを調整します。しかし、材料の性質を決める自由度は組成だけではありません。例えば本研究で用いた240原子のNCM523モデルでは、同じ組成のままNi、Co、Mnを遷移金属サイトへ配置する組合せは約1025通りに達します。つまり、「NCM523」という一つの組成の背後には、極めて広大な原子の並び方の可能性-配置空間-が存在します。

 従来の計算研究では、0 Kにおける最安定構造や、無秩序状態を一つの代表構造で近似するSQSなどが広く用いられてきました。これらは個々の構造を評価する上で有効ですが、有限温度で多数の原子配置がどのような統計的重みを持ち、その分布が温度とともにどう変わるかという配置熱力学を直接扱うものではありません。そこで研究グループは、広いエネルギー領域を探索できるマルチカノニカル・モンテカルロ法*5と、原子配置のエネルギーを高速に評価する汎用ニューラルネットワークポテンシャル*6を組み合わせました。

 その結果、NCM523、NCM622、NCM811では、組成によって配置空間の広さと配置エントロピーが大きく異なり、有限温度で形成される短距離秩序*7も変化することが分かりました。さらに、Bader電荷と金属-酸素(M-O)結合長から推定した価数状態、開回路電圧、酸素空孔形成エネルギー*8まで解析することで、「組成 → 配置空間 → 配置エントロピー・短距離秩序 → 価数状態 → 電圧・酸素安定性」という階層をつなぎました。本研究は、有限温度で実現し得る原子配置の全体を材料設計の新たな自由度として考えるための基盤を示すものです。

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