お知らせ

寮歌・寮歌祭の応援メッセージをお寄せいただきました。(9月15日更新)

 新型コロナウイルス感染拡大防止のため、誠に残念ながら2021年 松高・信大寮歌祭は開催を中止させていただくこととなりましたが、この度お寄せいただいた寮歌・寮歌祭への思い、お互いへのエール、若き日の思い出、次回開催への期待等の応援メッセージを、こちらで紹介いたします。
 メッセージをお寄せいただいた方々にはこの場をお借りして厚く御礼申し上げます。


                        松高・信大寮歌祭実行委員会


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松高・信大寮歌祭(令和元年6月29日開催)
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米山 廸男様(文理39年卒)より。

 平成24年の寮歌祭の折、黒シャツの老人が「遠征」を独唱された。歌い終わってから自席にお尋ねして、この方が昔、諏訪清陵の国語の上條彰次先生であることも分かり、遠征の作詞者と初めてお会いすることができた。
 在学中はそんなことは知らずに歌っていた。遠征の作詞者を知ってからは感慨深く歌うこととなった。松高寮歌作詞者で現存される方は二人(「追憶」作詞 山口泰治 在ドイツ)だけしかいないことも後日知った。
 私の実家の近くにお住まいがあることも分かり、帰省の際は何回かお訪ねした。この歌を作詞されてから、本土防衛のため、野辺山に行かれたことも分かった。死を覚悟して当時「遠征」を作詞されたのかと。ご逝去されたと昨秋知り、ご冥福を祈った。

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塩原 恒文様(松高30回、昭和24年修了)より。

寮歌祭に寄せて       

 旧制松本高等学校(以下「松高」と書く)は自宅通学で、しかもわずか1年で学制がかわって旧制高等学校は昭和25年でおわった。
 昭和40年ころから東京やその他各地で寮歌祭が開かれるようになった。私も友人にさそわれて参加してみた。大勢の人と肩を組んで歌った。それ以来、東京や松本で開かれる寮歌祭には参加し始めた。寮歌を歌うと全身に力が湧いてくる気がした。
 90歳を過ぎた今も、自室で寮歌を口ずさんでいる。寮歌はいい。素晴らしい。       

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汲田 克夫様(松高30回、文乙)より。

忘れられない思い出

 私たち旧制松本高校学校第30回生は最後の学生でした。一年修了で新制大学に切り替わり、卒業式の時はこれが一年生から三年生までの全校生が集まる最後の機会になるかと思うと万感胸にこみ上げるものがありました。あの時の校歌斉唱は忘れられません。「つとめよ青春再び曙(あ)けず」と心して歌いました。
 私はピンチの時には、寮歌を思い出しては歌い、励まされました。特に、学園紛争時、学生部長職にあって、全共闘の諸君と対峙していた時は朝、寮歌を歌って元気を出し、一日が終わると、「春寂寥」の四番の「嵐は山に落ち果ぬ 静けき夜半の雪崩れ・・・冬を昨日の春の色・・」を口ずさみ、眠りました。
松高記念絵はがき.pdf

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吉元 忠様(七高、一橋)より。

信州寮歌祭には何回も参加した。出身校は七校と一橋であった。妻を同伴したこともある。千葉から松本迄の往復はいつもあずさ一号二号で 流行歌の旅であった。松本城、信州そば 猛烈な暑さの中での寮歌祭 地方に分散した旧制高校を経た後 大都会に集めての専門大学 昔の学制は誠に良かったと思う。弊衣破帽 白線 黒マント 腰の手拭い ファイヤーストーム 之を復活させるのは叶わぬ夢か 男女共学では無理か

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金澤 正雄様(昭和39年文理、社会科卒)より。

コロナ禍で寮歌祭中止残念ですね。ところで、このほど「あがたの森に学び舎は生きる」という母校跡地保存運動史についての本を本棚から取り出して久しぶりに読んでみた。
その中の思誠寮のページに掲載されている"思誠寮召太鼓"など5枚の写真が、4年間過ごした当時の寮生活を思い出されてくれ感動。寮歌"春寂寥"を思わず口遊んでしまった。寮歌祭は、第二の故郷松本を訪れる良い機会であり毎年の開催を楽しみにしています。

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中村 昭様 (七高、昭和25年3月卒)より。

寮歌は我々の青春

 終戦は、学徒動員で佐世保海軍工廠(県立第二鹿児島中学4年生の夏)。佐世保から無賃切符、雑穀入り握り飯2個と一握りの煎り大豆を渡され貨物列車を乗り継ぎ、川は歩いて渡り、夜はプラットホームに寝て、4日かけて帰った故郷鹿児島は、一望千里の焼野原。自宅も焼けて呆然自失。
 5年生の夏、焼け残った熊本の古本屋で辞書や参考書を買い求め、自力で超難関の七高(倍率7倍)を目指すことにした。七高も焼けていたが、錦江湾を隔てて聳え、活火山の桜島の淡い煙が望まれる「城山」下の鶴丸城の跡地に、掘っ建て小屋の学舎と東西南の3寮が完成していた。寮生の殆どが福岡県や長崎からの俊友達。食糧不足の為、鹿児島県人は入寮出来なかった。
 七高は"ナンバースクールの伝統校"のため「寮歌」は多彩だった。俊友と共にスクラムを組み、三年間、弊衣破帽、高下駄、黒マント、手ぬぐいを腰に下げて市内を闊歩できたのは幸いでした。
 寮歌は、校歌、毎年作られる記念祭歌、部歌、寄宿寮の歌、逍遥歌などあり、"北辰斜め"は、七高の代表歌です。寮歌は我々の青春なのです。

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丹治 清吉様(一橋、28経)より。

松高・信大寮歌祭に参加して

 16年前、畏友の川野玲次郎氏(松高、30理甲)からの誘いで参加してきた信州寮歌祭が平成22年第25回を以て終焉を迎えた。6年後、松高・信大寮歌祭に再生され、一昨年の令和元年6月29日(土)には「松高100年、信大70年」の記念年として盛大に開催されたことは、誠に慶ばしい限りです。最後に、信大交響楽団・信大混声合唱団の演奏と合唱に合わせ、松高寮歌「春寂寥」を全員で合唱し解散したことは、初参加から10回目であり、生涯忘れえぬ一日となった。
 今、コロナ禍で二年にわたる開催見送りは残念だが、来年の開催を心から願ってやまない。
丹治様寮歌祭アルバム.pdf

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小林 達雄様(農学・農産科学 1959年(昭34)卒)より。

寮歌・寮歌祭との出会いに感謝

 私は1955年(昭和30年)信大文理学部で、一般教養科目履修のため思誠寮で一年間生活し松本で過ごすことになりました。思誠寮は生まれて初めての別世界の生活で、先輩に教わりながら少しづつ覚えた寮歌は私にとって新しい青春のスタートになりました。今までに経験のない寮生活は言葉にならない青春の幕開けでした。学生は文理、医学、工学、農学と、学部も出身校も異なる者同士が一つ屋根の下で、声張り上げて歌ってくれた先輩達と共に元気に歌っていました。
 「寮歌」・・・素晴らしい青春のひと時だったと今も胸が熱くなってきます。老齢になった今でも新入寮生歓迎会で聴いた先輩たちの合唱「春寂寥」から感銘を受けた事は未だに忘れる事ができません。良き友を得ることは幸せな事であり、ましてや半世紀にわたり何でも話し合い励まし合える友に巡り合える事は人生にとって無上の喜びでもあります。私は思誠寮でそういう友人(東京在住)に出会う事が出来ました。
 私は寮歌祭に参加して懐かしい青春を思い出しながら寮歌を熱唱すると元気が出て老化防止になっている気がします。また、私にとって思誠寮は青春の数々の思い出があふれる「聖地」となっているのです。

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日本寮歌祭実行委員会会長 藤村 延魚(えんぎょ) 様より。

松高・信大寮歌祭に送るエール

 日本アルプスの美しい絵葉書が私の部屋に飾ってある。旧制高等学校記念館で求めたものである。横長のサイズで、松本市から眺めたアルプスの山々は、白い雪の稜線が左から右に、一直線にビーンと連なっている。峰々にはそれぞれ名前が小さく記されている。惚れ惚れする写真である。このような恵まれた環境の「あがたの森」に、松本高等学校の校舎があって、松高にゆかりの信州大学も近くにある。まことに、羨ましい環境である。
 松高のOBがご高齢になり、松高だけでは支えられなくなった「寮歌祭」を、信大のOBが歌い継いでいく決意を示されたことに、深甚なる敬意を表します。寮歌祭はコロナ禍で令和2年、3年と開催の中止を余儀なくされました。
第60回、第61回の「日本寮歌祭」も同様の苦渋を味わっておるところです。
 ワクチンの接種も始りました。遠からずコロナを抑え込むことも出来ましょう。
 寮歌祭が、解禁され、なんの気兼ねもなく豪吟できる環境が整いましたら、おおいに歌いましょう。「日本寮歌祭」は「松高・信大寮歌祭」に協力を惜しみません。また、日本各地で開催される総ての寮歌祭とも連携を取り、おおいに盛り上げましょう。そして、青春の美しき夢を育む寮歌祭を日本中に広めましょう。次の句を添えて、松高・信大寮歌祭に寄せるエールと致します。

青春の夢よ羽ばたけ寮歌祭  延魚

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竹内 雍様(松高29回、昭25年卒)より。

2021松高・信大寮歌祭中止に寄せて

 市内在住だったので、寮生活の経験がなく、寮歌は「春寂寥」ほか数曲しか知れませんでした。同窓会に参加して、遅ればせに沢山の名歌を覚えました。松高・信大寮歌祭として継承して下さることに感謝しています。生命ある限り寮歌祭には出席したい気分。早くコロナ禍が去ることを念願しています。"来年まで、頑張るゾ"という気分。お世話頂く実行委員の皆さん、よろしく。ファイト!!
 一昨年、クラス会も活動停止、最後の卒業生(29回生)の集いもなくなり、寂しいものです。

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