んな力をつけるのかという発想ではなく,探究的な学びの最後に,子供たちと分かち合いたいものや場面を具体的に想像し,それが子供の在り方や生き方にどうつながっていくかを見つめることである。 2つ目は「子供はどんな見方・考え方を働かせながら,問いの質を変容させていくのか」という視点である。子供が自分の「思いや願い,問い」からとことん追究し,その中でまた自分の問いを変容させていく過程の中で,そこに働く様々な見方・考え方についての視点である。 幼稚園では,園児が見つめている対象,その対象への「思いや願い,問い」について職員でカンファレンスを行い,園児の観察力や感受性が,より鋭く,豊かに働くような環境構成を大切にしている。そういった環境の中で,何気なく感じたことや気付いたことを,次は能動的に自分からやってみたり,じっくりとその対象を捉え直してみたりしながら,見方・考え方を深めたり広げたりしていくのではないかと考えている。 小学校では,自分の「思いや願い,問い」に向かう遊びの中で感じたことや気付いた断片を,言葉にしながらつなげ,まとまりのある知識や技能へと再構成していくことを大切にしている。それはつまり,触って感じたことや,見て確認したことが,自分の知識や言葉とつながって,論理的に再構成されていくことである。目の前のものを様々なつながりの中で捉えられることや,それによって知的に思考することのよさや面白さを,体験や実生活を通して学んでいる。 中学校では,「もっと知りたい」と,自分が明らかにしてきたことに対して,統合や帰納の見方・考え方を働かせて「いつでもそれはそうなると言えるのか」と考えたり,立場や時代の違いなどの多角的,批判的な見方・考え方から「他の人はどう捉えているのか」と考えたり,探究的に学んできたことが,「今の自分やこれからの自分にとってどういうことであるのか」と自分に矢印を向けて考えたりすることを,問いの質の変容であると捉えている。 校園種の別なく,問いの質の変容こそが,探究的な学びを支える大きな要素だという手ごたえを,私たちは掴みつつある。一方で,園児はもちろんのこと,中学生であっても,上述のような見方・考え方に自覚的になることは難しい。まずは,教師が子供の姿を見つめ,働いている見方・考え方を深く想像することを大切にしている。また,実際の授業では,教師がデザインした通りに進まないこともあれば,単元末に子供と分かち合いたいものが変わることもある。探究的な学びのデザインとは,単元が始まる前までに終えるものではなく,常に子供の内実に向き合う中で繰り返していくものだという捉えも,本学校園の職員間で共有しつつあるものの一つである。 ④校種を越えた教師が協働して 12 年間の子供の育ちを支える 以上のような概要を踏まえ,私たちは「たくましく心豊かな地球市民」としての資質・能力を養う,実生活の諸課題に対し『3つのよさ』を軸として,様々な資質・能力を有機的・総合的に育む,12 年間の教育課程および指導・評価の開発を行ってきた。教員が校種を越えて「子供がもともと持っている資質・能力の強みを生かして教育課程を編成すること」を目指してきた。教師は子供に内在する資質・能力『3つのよさ』と資質・能力の「三つの柱」の関係をとらえ,「子供側の視点に立った授業づくり」を実践してきたことで,学び手である子供が,自身のよさを生かして学ぶことがわかってきた。子供は 12 年間を通して『3つのよさ』を発揮しながら,様々な資質・能力を有機的・総合的に育み,『3つのよさ』自体も育んでいる。だからこそ,そのよさや強みで貫いた 12 年間の教育課程が必要であると私たちは考えた。そして,子供の発達段階や学び方の特長に応じて【遊び】【遊びの領域化】【領域の教科化】【教科等の総合化】とした 12 年間の『学びの総合化』の教育課程を編成し,「探究」を幼小中の共通の窓口として教育活動を進めている。
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