20橋本 萌 助教お茶の水女子大学大学院人間文化創成科学研究科博士後期課程修了(博士 社会科学)お茶の水女子大学非常勤講師、東京保育専門学校専任教員を経て現職。藤井 善章 教授信州大学教育学部卒業。長 野 県 内 の 小 ・ 中 学 校 教諭、長野県教育委員会指導主事、信州大学教育学部准教授、中学校校長等を経て、2024 年 4 月信州大学教職支援センターに着任。【図】 内宮�外宮参拝小学校数及び児童数〈備考〉 神宮司庁編『神宮便覧』(1925 年、1928 年、1934 年、1940 年、1942 年)より作成。松本市は教育史研究の宝庫(右上から、旧山辺学校校舎、二宮金次郎像、オルガン、左上、旧松本高等学校本館、左下、旧開智学校 撮影:橋本)六花出版 2020 年 文部科学省ホームページ 教職大学院「教職大学院実務家教員の構成について」( 令和6年度現在 ) より全国教育系大学交流人事�実務家教員研究交流集会の様子 研究から広がる未来 歴史研究は、現代的課題の問題解決に直結するものではないかもしれませんが、人類が経験してきた社会現象から学ぶことは多くあります。今日、観光業は大きな産業となっていますが、そうした基盤は、戦前期から積み上げられてきた側面があります。教育的には体験活動による教科横断的学びの重要性が言及されています。伊勢神宮という「聖地」が目的地となっていることから、国家と教育の関係についても、重要な視点を投げかける研究対象であるといえます。卒業後の未来像教育実践は教育の理論や原理的な理解なしには成り立たないといえるでしょう。実践の骨組みとなる制度、制度を形作る理念について学び、よりよい教育実践につなげてほしいと願っています。研究から広がる未来 卒業後の未来像教職課程を学んだ卒業生の進路は、教員職に限らず企業や行政機関など多岐にわたります。教育の理論と実践を学ぶ中で培われたコミュニケーション能力や対人スキルは、教育分野以外でも有効に活用されており、幅広い分野での活躍が期待されます。学校現場での経験を持つ教員が大学で研究に取り組むことで、理論と実践の往還が生まれます。今回の研究では、交流人事教員の研究実態やキャリア発達のプロセス、そして彼らが求める支援の内容を明らかにします。数年間、大学で実務家教員として研究を行うキャリアは、教育現場が変化に対応するための重要な手がかりとなり、教職課程全体の教育力向上にもつながることが期待されます。近代日本教育史を専門として、戦前の小学生の修学旅行の研究をしています。1930 年代は伊勢神宮へ修学旅行に行く学校が多かったのです。東京の児童の伊勢神宮参拝者数のピークは 1939 年。卒業学年の 6 年生を母数に計算すると、約 8 割の子どもが参拝しました。旅行の文化が一般的になってきた時代といえども、修学旅行は格別。旅行記には、子どもたちの楽しい思い出が記されています。遠路はるばる夜行列車での旅は、なかなかの強行軍。それでも伊勢神宮が選ばれた国粋主義的な時代背景と、それを支える国家・教育界・そして教師たち。強く印象を残す体験活動と、国民統合の理念について、深堀りしています。教職支援センター現在、全国 54 大学に教職大学院が設置されています。そこでは、実務家教員が専任教員のうち4割以上配置されることが義務付けられ、右図にあるように全国には 616 人の実務家教員がいます。そのうち 129 人は、教育委員会から大学に派遣されている交流人事教員です。私自身も 2013 年に信州大学教育学部に採用された交流人事教員でした。私は、交流人事教員が学校現場を一定期間離れて大学で研究活動を行う経験を「研究サバティカル」と定義し、その役割について明らかにする研究を進めています。また、交流人事教員がより充実した研究活動を行えるようにするための支援モデルの構築にも取り組んでいます。教職支援センター退職教員: 定年退職したのちに大学に採用された教員転職教員; 定年前に退職し大学に採用された教員交流教員: 教育委員会から交流人事として大学に採用された教員併任教員: 附属学校を除いた小・中学校等と大学を併任している教員附属教員:国立大学附属学校教員総合人間科学系教職支援センター総合人間科学系教職支援センター「伊勢参宮旅行(修学旅行)」と「帝都」の子どもたち交流人事教員が大学で描く教育研究の未来と支援のあり方を探る挑戦
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