5年次 実施報告書
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‐36‐ 息苦しくなり,テント内の空気の異常が気になりだした。F児が「息苦しかった…」と首に手を当てて教師に語りかけた時は,「そうか,そうか。すごい体験をしたな」とは声をかけたものの,すぐにはその先の言葉が見つからなかった。しかし,「二酸化炭素が増えたのかもしれない」というF児の言葉を聞き,教師は「テント内の空気に何が起こっているのか調べたい」というF児の「探究的な学び」を支えたいと願い,コロナ予防として購入しておいた二酸化炭素濃度測定器を手渡すことにした。この時,教師の中では,これまでのテント内生活をベースにしながらも目では捉えきれない世界を楽しみ始めていると直感し,二酸化炭素濃度測定器によって,F児の「探究的な学び」がさらに加速するだろうと考えていた。教師は,F児が液晶画面に表示される具体の数字を捉え,体に危険な数字を割り出すことまでを想定し,期待を込めながら二酸化炭素濃度測定器を手渡した。 F児は,まず,平常時の約500ppmを確認してから二酸化炭素濃度測定器とともにテントの中に入った。そして,時間の経過とともに表示される数字が上昇してくことに驚きを隠せなかった。さらに,テント内で過ごしていると,1000ppmに近付いた時に「息苦しい」と感じ,テントの外に出てきた。体験を通して感じた息苦しさが二酸化炭素濃度測定器によって数値として表れたおかげで,F児の中で,1000ppmは人間にとって危険な数字なのではないかという問いが立ち上がった。手持ちのノートパソコンで検索をかけ,「良好な換気状態として,二酸化炭素濃度は,1000ppm以下という基準を示している。」ことが分かると,頷きながら納得していた。 続いてF児は,身の危険を避けるために,自身がテントの中へ入らずに二酸化炭素濃度を確認できる方法を模索し出した。しかし,二酸化炭素濃度測定器をテント内に置いたとしても,密閉状態では外から確認できないことに課題が残ってしまい,途方に暮れていた。一連の様子を見ていた教師は,「オンラインはどう?」と,一言だけ声をかけた。それは,F児であれば与えられた一つの情報から,次の展開を数珠つなぎのように連想できると踏んだからであった。もしこの一言で動き出しづらかった場合には,次の一言を用意しておいたが,F児は視界が開けた様子で,オンラインに詳しい友の所へ駆け出した。 これらのように,F児の何気ない一言や姿を契機として,より「探究的な学び」が加速するための支援を瞬間的に講じようとする教師がいた。しかし,常に何かを施さなければならないのではなく,今F児にとって必要な声掛けがなければ,見守るという支援に転じることもある。 3)「探究的な学び」を生む教師の役割 【領域の教科化】においては,体全体で感じるからこその「もっと~したい」から,目では捉えにくい抽象度の高い「なぜ・どうして」を明らかにしたいという求めの変化が大きな特徴として挙げられることが分かってきた。 教師の役割は,自身の中であらかじめデザインした道行きに即して,F児を位置付けるのではない。また,子どもの傍らに身を置き,ただ肯定したり,見守ったりしているわけでもない。子どもがよさを発揮している時,子どもの「探究的な学び」を支えたくなっている教師が教師自身の探究を絶え間なく繰り広げながら,一途に子どもを捉えようとしている。ただし,子どもの姿を捉え,味わうためには,目では捉えにくいものこそ見抜く必要があり,そのためには,「なぜ頷いたのか」「なぜわざわざ教師をテントに招いたのか」のように,行為の裏側にある意味を探ることだと考えている。 (4)中学校~学びの先にある新たな自分を予感し,確かにしていく【教科等の総合化】~ 【事例①】教材との出会いで生徒が抱く「思いや願い,問い」と,そこから始まる探究の中で生徒に働く見方・考え方を見通す教材研究 単元名:「自分の感じで『浅間節(C)』」(中3年 音楽)

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