Natural science special featureShinshu University矢澤ノート:立山縦走記、赤石縦走記など、アルプスを縦走した際のメンバー、登山ルートや生息する動物、高山植物などが詳細に記録されている。山岳関係の記述以外にも、肺や腸の病気を解説した医学系のメモなどがあり、あまりある好奇心と洞察力が窺える。(諏訪市博物館所蔵)氏は信州の博物学研究の先駆けと言えるだけに、「特に好奇心の塊だったのではないか」と福島特任教授は想像します。信州大学大学史資料センター福島 正樹 特任教授(写真:諏訪市博物館所蔵)長野県立歴史館の開館準備から学芸員として資料の保存、展示等に携わる。2017年より現職。本学の歴史に関わる資料の収集・保存及び学芸員養成課程を担当。専門は日本前近代史、博物館学、アーカイブズ学。か」と語ります。矢澤氏は日常的に様々なことをメモしていたようですが、特に記述が多いのはやはり専門の高山の動植物などの自然科学研究に関することです。同級生の河野齢蔵氏らと乗鞍、白馬、八ヶ岳などで植物・動物の高山学術研究を行い、多くの新種を発見していますが、例えば1921年に朝香宮鳩彦王ご一行と立山縦走をした際にセッケイカワゲラ類の新属・新種(ハネナシカワゲラ)を発見した時の様子をノートに見つけることができます。また、福島特任教授は、この記述の近くに多くの氏名がメモされていることにも注目します。この氏名は立山縦走に同行した歩荷(ぼっか)や新聞記者のもので、自然だけでなく人に対してもその好奇心が向けられていたことが分かります。矢澤ノートには教育に関する記述も多くみられます。矢澤氏は講師を招いて講演会を頻繁に開催していましたが、その内容を紙面いっぱいに記したメモから熱心な教育者としての側面を窺い知ることができます。一方で、講演者の口癖を似顔絵付きで面白く書き記した記述もあり、遊び心を持った人であったようです。今回、矢澤ノートの発見に至ったきっかけは福島特任教授の“筋読み”でした。「自然科学館に収蔵されている矢澤氏採集のライチョウ標本を見て、きっと自然科学研究に関するノートをつけているはず」と考えたと言います。年譜などを頼りに矢澤氏の遍歴をたどり、その所在を調べたところ、最終的には諏訪市の自宅に持ち帰ったのではないかと予想。諏訪市博物館に問い合わせたところ、見事に的中し矢澤ノートの発見に至りました。ただ、諏訪市博物館に収蔵されていたノートは1919年から1925年頃に書かれた5冊程度で、福島特任教授は「まだ一部に過ぎない、当然もっとあるはず」と話します。矢澤ノートは矢澤米三郎氏の自然科学研究や教育者としての側面、人となりなどを知るうえで重要な資料であり、まだ発見されていないノートの発見に期待が高まります。それは自然科学研究の発展だけでなく、実践からの学びを重視する信州教育の発展に寄与したという観点からも言えます。長野県では、長野高等女学校の初代校長である渡邊敏が学校登山を通じた実践的な学習の流れを築きました。矢澤氏はその影響を受けて山岳フィールドワークを通じた実践的な自然科学研究を行い、その研究手法を多くの後輩に伝えました。現在の信州大学の自然科学研究は、矢澤氏をはじめとした長野県師範学校時代の学究の偉大な業績の流れを汲むものであり、そのDNAと情熱は脈々と今に受け継がれていると言えるでしょう。大学史資料センターで10月に矢澤米三郎の企画展を開催ライチョウや高山植物などの標本を展示10月28日(金)から12月27日(火)まで、中央図書館展示コーナーで、大学史資料センターと自然科学館の主催で、「明治・大正期 信濃博物学の夜明けと長野県師範学校―矢澤米三郎とライチョウ標本を中心に―」が開催されます。自然科学館所蔵のライチョウ標本・高山植物標本を展示するとともに、その標本を収集・保存した矢澤米三郎と河野齢蔵の活動を代表的著作物とともに紹介します。また、明治大正期に活躍した、その他の県内博物学者を紹介し、彼らのなかに師範学校出身者が多くいたことを示します。大学史資料センター学芸員の坂元さんと田中さん信州大学自然科学特集10EVENT研究や人となりを知るノートあらゆることを細かにメモ今回、福島特任教授による調査で、諏訪市博物館の収蔵物から自筆のメモ「矢澤ノート」が新たに発見され、これまで知られてこなかった矢澤氏の側面が見えてきました。まずこのノートを見て驚くのは、紙面の端から端までびっしりとメモの文字で埋められていることで、福島特任教授は「今の言葉でいうところの“メモ魔”であったのではない実践的な自然科学研究DNAと情熱は脈々と今にこうして信州の自然科学研究の功績と、新たに発見された「矢澤ノート」を見てみると、矢澤氏は改めて明治・大正時代の自然科学研究のマイスターであることが分かります。信州大学に縁のある偉人と言えば、信州大学の前身である長野県師範学校の教諭でありのちに県歌となった唱歌「信濃の国」の作詞者である浅井洌が有名ですが、矢澤氏は同氏と並ぶ信州大学の礎を築いた人物であると言えそうです。
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