2022信大環境報告書
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 2019年10月、東日本を襲撃した台風19号(台風ハギビス)の豪雨は甚大な被害をもたらした。千曲川では観測史上最大規模の水位・流量となり、上田市内では別所線の鉄橋が崩落、長野市内では大規模な氾濫が生じ、新幹線の駐機場が水没した映像は国内外に広く報じられた(図1)。 東城教授は、2005年より河川生態学術研究会の一員として、千曲川での水生昆虫類の調査研究を展開している。洪水前のデータも豊富に取得しており、洪水の前後での水生昆虫の集団構造や遺伝構造を比較した研究の一端を紹介したい。なお本研究は、公益財団法人・河川財団が選考する2021年の優秀研究としての表彰を受けている。■洪水前後での チラカゲロウの現存量(バイオマス)比較 長年にわたり多様な水生昆虫種の現存量や遺伝構造のデータを蓄積してきたなか、まず洪水撹乱の影響を最も強く受けたと予想されるチラカゲロウに焦点を当てた(図2)。本種は千曲川の瀬に高密度で生息する優占種で、遊泳型の生活をすることから、洪水による掃流ダメージが大きいと考えられたが、洪水前と洪水後約1年(2世代後)の現存量に大きな差異は認められなかった。ただし、洪水前の分布域のうち最上流部に限ると、現存量の低下傾向がみられた。より上流域や支流からの流入による供給が起こり難かったことが原因と考えられる。■洪水前後での チラカゲロウの遺伝的多様性比較 現存量は回復できても、巨大な撹乱後には遺伝的多様性の低下が生じやすい(ボトルネック効果)。しかし今回の研究では、遺伝的多様性についても洪水前後で差異はみられなかった(図2)。現存量と同様に、支流などからの供給により迅速な回復がみられたものと考えられる。■流域全体が「メタ個体群」として機能 台風ハギビスによる豪雨・出水の影響は、水系内で一律に生じたわけではなく、甚大な影響を受けた流域もあれば、影響が比較的抑えられた流域もあったはずである。ダメージが小さな流域や支流などが「避難地(リフュージア)」として機能したと考えられる。洪水による撹乱後、リフュージアからの再分散による「Source(供給源)―Sink図1 台風ハギビスによる千曲川の洪水被害(a, c: 長野市内, b: 上田市内)環境への取り組み東城 幸治(とうじょう こうじ)1999年 筑波大学大学院 生物科学研究科修了1999〜2002年 筑波大学生物科学系2002〜2004年 JST、JSPS科学技術特別研究員2004年 信州大学理学部 助手2007年       〃   助教2012年       〃   准教授2017年       〃   教授2021年 信州大学 副学長(広報、学術情報担当)図2 千曲川(信濃川)流域内に設置した約30の調査定点のうち、チラカゲロウが採取された地点の遺伝構造。グラフの配色は各遺伝子型に対応しており、カラフルであるほど遺伝的多様性が高い。各地点の左側の円グラフが洪水前、右側は洪水後のデータ(Hd: 遺伝的多様度)。(供給先)」のようなシステムが機能し、ダメージの大きな流域の現存量や遺伝的多様性を水系全体として補完するような「メタ個体群」機能がはたらいたものと考えられる。 洪水の影響は対象種によって大きく異なる可能性があり、現在、他種の解析にも取り組んでいる。日本列島のような降水量の多い地域の大河川(中・下流域)に生息する底生動物にとって、この規模の自然撹乱は織り込み済みなのかもしれないが、河川改修による河道の直線化や河道そのものが狭く固定されてきた人為的要因に対する適応力にも種差があると思われ、今後も慎重に検討をつづけてゆきたい。 東城教授は、千曲川をはじめ、天竜川や狩野川の河川管理等における国土交通省の委員やアドバイザーも務めている。2-2 環境研究台風ハギビス(2019年 台風19号)による千曲川の洪水前後での底生動物の動態比較理学部 理学科 生物学コース 教授 東城 幸治2402

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