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38気分でした。それで何かないかなと探していたら海賊がいたんですよ。これなら目立つぞ!と。それで大学院に行ったら、周りにはアラブの奴隷反乱とか、東南アジアの鉱山労働者のリクルートのやり方とか、ウズベキスタンの灌漑とかを研究している人がいたんですね。なるほど知らない話ばっかりじゃないか、これは面白いな、「東洋史」って間口が広いんだなあと思って、そのまま東洋史の人になりました。ました。「これ、黙っとこ」みたいの、みんなもあるでしょ? 人間は単に自分のためにウソつくんじゃないんですよ。政治的に黙っておいたほうが良いこと、強調したほうがいいことってあるんです。そういうことって面白いなあと考えながら史料を読んで論文を書いたりしています。 これは言語の問題じゃなくて、歴史でもなんでも書いてあることは「これの根拠は何?」って考えないといけないよという話なんですよ。日本語の研究書で「これこれこうですよ、これが当時は普通だったんですよ」と書いてあって、「ふーん、なるほど」と言ったらそこで終わりじゃないですか。もう研究なんてしなくていい。でも元の史料を見たら、「これは特殊な事例です」とか書いてあったりする。日本語の研究書がそれを見落としていたりすることだってあるわけ。そういうのを現地の言葉で見て、わかったりしたらうれしくないですか? 「読め あと、海賊の話で、当時の中国の行政文書を読んでいたんですけど、ずーっと海賊が捕まって処刑される話しか書いてないんですよ。つまんねえなぁと思っていたんですけど、 あるとき「ベトナムから海賊が来てます」という報告書が出てくるんです。それを見た当時の皇帝が「そんなわけあるか!」と言って報告者を左遷しました。そしたら、次から報告書に「海賊は外国と関係ありません」とか書いてある。で、その数カ月後に、実際にベトナムから来た海賊が捕まります。それでも皇帝陛下は「ベトナムの王様は関係ない。遺憾の意とか伝えてもしょうがない」と言うんですよ。なんでかって言うと、ベトナムと戦争したくなかったからなんですけど。それから「言えること」「言えないこと」ってなんだろうと考えたりするようになり──面白いですね!──東洋史をやられていると、研究する国の言語が必要になるんじゃないかと思います。でも日本語で研究書が出ているのに、それじゃなく、自分で生を読む意義ってあるんですか?「ここに書かれていることの根拠は?」 と常に問い続ける

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