哲学するために求められ,哲学することで身につく技能のひとつに,<問いをうまく立てる技能>というのがあります。もうちょっと具体的に言うと,<解き方の道筋が見えてくるような問いの立て方をする技能>です。さまざまな職場で求められる問題解決能力というやつの核心は,要するにこれでしょう。2015年「手短な独我論論駁」『信州大学人文科学論集』第2号(通算49号) 規則に従うという現象にかんするウィトゲンシュタインの洞察を援用して,独我論を論駁しています。2011年「事物は色をもちうるか」『哲学の探求』第38号(若手哲学者フォーラム) 色にかんする2種類の機能主義的理論を取りあげ,両者が抱えている困難について論じています。2009年「言語の起源/起源の言語」『岩波講座哲学』第3巻(岩波書店)所収 言語起源にかんする仮説が乱立している現状を,自然主義的観点から肯定的に特徴づけています。 2008年「クオリアとクオリア実感」『感情とクオリアの謎』(昭和堂)所収 いわゆるクオリア(感覚質)にかんする消去主義の戦略を提示しています。1994年「投機としての自然主義」『科学哲学』22号(日本科学哲学会) 自然主義は思想としてではなく,投機的なプロジェクトとして扱われるべきだと論じています。日本哲学会日本科学哲学会科学基礎論学会中部哲学会(現在,役員および編集委員)西日本哲学会1995年,九州大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学の後,東京都立大学人文学部助手を経て,信州大学人文学部助教授(後に准教授),2013年より同教授。3●現在の研究テーマ1.自然主義の可能性 ここで言う「自然主義」とは,人間のさまざまな営みも含めて,この世界で起きることは結局すべて自然現象だといえるのではないか,という見とおしのことです。実際,自然現象だとは考えにくい事象は少なくありません。たとえば善悪とか,心とか,数とか,言語とか,あるいは色だとか。私は長らく,この種の事象を自然主義的な世界像の中にうまく位置づける手立ての探索に取り組んできました。2.色の存在論 生物の知覚や色彩工学に携わる研究者に言わせれば,我々が見ている色は事物そのものが有する性質ではありません(また,反射や透過を経て事物から我々の目に届く光そのものの性質でもありません)。しかしそうだとしたら,どうして色は事物に備わった性質のようにしか見えないのでしょうか。事物の表面に無いのなら,色はどこにあるのでしょうか。いや,そもそも色は,どこかに「ある」と言っていいようなものなのでしょうか。私は,我々を困惑させるこういった一連の問いに,満足な答えを与えることを目指しています。言語哲学,心の哲学●教授 篠原 成彦
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