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08必要です。医療従事者の感染リスクもゼロではありません。アメリカで開発されたCAR-T細胞に、約5000万円という高額な薬価がついたことからも、いかに莫大なコストがかかるかが分かります。それに対し、「非ウイルス遺伝子改変CAR-T細胞療法」であれば、約10分の1の製造コストで、より安全にCAR-T細胞を作ることができます。その手法で作られたのが、信大発のCAR-T細胞「GMR CAR-T」。日本初の骨髄性白血病に対するCAR-T細胞として、臨床試験目前という段階にまで至っています。中沢教授がCAR-T細胞療法と出会ったのは、アメリカのベイラー医科大学に留学していた2007年のことでした。その前年の2006年、信州大学病院勤務時に受け持っていた女児が骨髄移植後に白血病を再発。結果命を落としてしまったことがアメリカ留学のきっかけだったそうです。「『アメリカでなら治せたのではないか』とその子のお父さんに言われたときはショックでした。長野県の患者は長野県の医療で治す。それを目標にしてきました。でもそれができないのなら、アメリカに新しい治療法を探しに行こうと留学を決意しました。そこでCAR-T細胞の効果を目の当たりにしたときは、がん治療の歴史が変わると感じました」と中沢教授は話します。しかし、規制が厳しい日本にこの治療法を持ち帰るには多くのハードルがありました。そんな時に出会ったのが、とある研究者が「研究に使えないか」と持ち込んだ「piggyBac(遺伝子転位酵素)トランスポゾン法」という遺伝子導入法でした。「piggyBac」とは、昆虫学者が発見したアオムシ由来の酵素。「当時、アメリカではウイルスベクターを使った方法が成果を上げていたため、piggyBacトランスポゾン法には誰も見向きもしませんでした。しかし、ウイルスベクターの規制が厳しい日本にCAR-T細胞療法を持ち帰るには、この方法を利用するしかないとひとり手を挙げ、研究を始めました」(中沢教授)最初はなかなかうまくいかず、同僚からは厳しい意見も聞かれたそうです。それでもわずかな調整を繰り返すうちに、徐々にいい成果が出始めました。2009年には、通常許されない知的財産の持ち帰りを特別に許可され、帰国を果たします。しかし日本における遺伝子治療のハードルは想像以上に高いものでした。転機となったのは2012年。京都大学山中伸弥教授のノーベル賞受賞によって遺伝子治療の研究が国策として取り組まれるようになり、CAR-T細胞療法への注目度も急激に上昇、さまざまな企業や研究機関から問合せが舞い込むようになりました。CAR-T細胞はがんの種類ごと開発する必要があります。しかし現在、世界でも薬として認められているのは「B細胞性白血病・リンパ腫」に対する「CD19 CAR-T細胞」のみ。世界の大手製薬会社では、数十から数百億円もの費用をかけ新しいCAR-T細胞の開発に取り組んでいますが、目覚ましい成果はそれほど出ていません。中沢教授は、臨床医の視点から、大手製薬会社には開発が難しい希少がんなど、ニッチでありながらも患者ニーズが高く、CAR-T細胞療法が有用だと判断した疾患を狙い開発に取り組んでいます。「GMR CAR-T」に続く、第2、第3のCAR-T細胞も生まれてきており、白血病だけでなく、固形がんに対する応用も期待されています。「既存の治療を受けつくし『もう治療法がない』と言われたがんの子どもたちに、もう一度、治療のチャンスを与えたい。それが願いです」(中沢教授)CAR-T細胞を独自に開発し、これまで対象とされてこなかった疾患にも応用しようというグループは、国内にもわずかしかありません。何より信州大学には医学部附属病院があります。信州大学で開発、医学部附属病院で製造した薬を附属病院の患者に投与し、臨床試験ができるという、創薬分野ではきわめて珍しいオールインワン型で取り組めるチームであることに、他にはない実行可能性を秘めています。さらに2020年4月、信州大学発バイオベンチャーとなる企業、株式会社A-SEEDSが設立されました。「非ウイルス遺伝子改変CAR-T細胞」は、安価に製造できるとはいえ、初期開発だけで億単位の費用がかかります。A-SEEDSは臨床応用に向けた資金調達なども担っており、これから事業化に向けた取組みを加速させていきます。「臨床応用というゴールに向け、ようやくスタートラインに立てた気がします」と中沢教授。治せないとされた病に、いま、新しい希望が見え始めています。(※2)リンパ球の一種。がん細胞を攻撃し死滅させる性質がある。「治せない」がんと闘う子どもたちにもう一度治療のチャンスを信大発ベンチャーも設立され臨床応用と事業化を加速する体制が整う信州大学遺伝子・細胞治療研究開発センター長信州大学学術研究院(医学系)教授医学部小児医学教室中沢 洋三長野県埴科郡坂城町出身1996年旭川医科大学卒業2003年信州大学大学院医学研究科修了、2004年信州大学医学部助手、2007年同助教、2014年同講師、2016年同教授、2019年より現職 PROFILE

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