信州大学統合報告書2020
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ビジョンと経営戦略活動実績ガバナンス人と地域の資産財政情報1910年(明治43年)1944年(昭和19年)1945年(昭和20年)1948年(昭和23年)1949年(昭和24年)1966年(昭和41年)1978年(昭和53年)2016年(平成28年)長野青年師範学校 (昭19.4)松本医学専門学校 (昭19.3)松本医学医科大学 (昭23.2)医療技術短期大学部 (昭49.6)保健学科 (平14.10)医学科(昭26.4)長野工業専門学校 (昭19.4)(昭24.6.1)(昭24.6)文理学部(昭24.6)教育学部(昭24.6)医学部附属病院(昭24.6)(昭24.6)工学部長野県立農林専門学校(昭20.2)(昭24.6)農学部上田繊維専門学校 (昭19.4)教養部(昭41.4)(昭24.6)繊維学部(昭41.4)人文学部人文学部(昭53.6)経済学部 (昭53.6)(昭41.4)理学部(平28.4)経法学部人文学部・経法学部・理学部・医学部・全学教育機構… 松本キャンパスと前身校1919(大正8)年に設置された松本高等学校は、人文学部・経法学部・理学部の前身校です。松本高等学校の伝統を引き継ぎつつ、各学部が独自の理念で教育・研究を展開しています。1944(昭和19)年、第二次世界大戦下における医師不足を補うために設置された松本医学専門学校は、医学部医学科の前身校です。「松本の地において国際的レベルの医学知識を学び、世界に通用する医療技術を身に付ける」ための教育と、先進的な医療・研究を展開しています。1974(昭和49)年に医学部保健学科の前身校、医療技術短期大学部が併設されました。‶人"に深い関心と思いやりの心を持つ、高度な保健・医療分野の専門職を育成しています。1966(昭和41)年、教養教育の充実のために教養部が設置されました。その伝統は2006(平成18)年発足の全学教育機構に引き継がれ、全学部の教養教育を担っています。農学部 伊那キャンパスと前身校1945(昭和20)年、第二次世界大戦下における農産体制増強のため、農学部の前身となる長野県立農林専門学校が設立されました。キャンパス内に演習林を持つほどの、広大で恵まれた自然環境のもと、日本の生命・食料・環境を支える教育・研究に取り組み、農と食にまつわる産業を豊かにする卒業生を輩出しています。繊維学部 上田キャンパスと前身校1910(明治43)年、蚕糸に関する最初の国立高等教育機関として、繊維学部の前身となる上田蚕糸専門学校が設立されました。繊維学部は日本で唯一、本学だけにしかないユニークな学部で、伝統的な科学技術を基盤に、先端科学技術の展開を図り、さらにはそれらを支える人材を育成しています。上田蚕糸専門学校(写真は大正2年)長野県立農林専門学校松本医科大学2006年(平成18年)(平18.4)教育システム研究開発センター (平7.4)共通教育センター (平7.4)高等教育システムセンター (平15.4)全学教育機構1873年(明治6年)1874年(明治7年)1875年(明治8年)1902年(明治35年)1918年(大正7年)1919年(大正8年)1935年(昭和10年)1943年(昭和18年)筑摩県師範講習所 (明6.5)長野県師範講習所 (明6.8)筑摩県師範学校 (明7.10)長野県師範学校 (明8.12)松本女子師範学校 (明35.4)長野師範学校・男子部(昭18.4) ・女子部(昭18.4)長野県実業補習学校教員養成所 (大7.4)長野県立青年学校教員養成所(昭10.4)長野高等工業学校 (昭18.3)上田蚕糸専門学校 (明43.3)松本高等学校 (大8.4)教育学部 長野(教育)キャンパスと前身校工学部 長野(工学)キャンパスと前身校松本高等学校(写真は大正11年頃)松本女子師範学校(写真は大正初期)長野県師範学校(写真は明治11年頃) 1943(昭和18)年、第二次世界大戦下における工業技術者確保のため、工学部の前身となる長野高等工業学校が設立されました。工学部は再生日本の産業立国への寄与と長野県産業への人材供給を目的として設立され、現在は、科学技術と環境保全との調和に深く関心を持って人類社会に貢献する人材を育成しています。1873(明治6)年、当時の旧長野県と筑摩県にそれぞれ師範講習所が設けられたのが、教育学部の始まりです。教育県としての長い歴史を受け継ぐ教育学部は、県内外に多くの教育者を送り出しています。長野工業専門学校(写真は昭和19年) 04人と地域の資産立地的・歴史的資産Integrated Report 2020 Shinshu University45

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