人文学部_学部案内2020
26/72

From Professors26と理解して学習していくっていうのが高校までの「勉強」だと思うんです。けど, 大学の日本文学研究はそうじゃなくって, 言ってみれば, まだ誰も知らないような文章, いわば原典を, 解読するところから始まる。そういう作業を大学で勉強しました。最初, 何これ?って戸惑ったんです。けど, 自分たちが中1の頃にはこれが古典なんだって触れた文章が, すでに「加工された」古典だった。大学に入って初めて原典に触れた経験が自分の中では本当に大きくて, もっと勉強したいなと思って大学院に進学しました。だから, 中学校で学んだ国語の古典が一番最初の原点になってるかな, と思います。——江戸の出版文化ちなみになぜ江戸文学, それも出版文化を専攻されたんですか?——広い日本文学領域の中で, なぜか, っていうことですよね。最初は上代文学をやりたいって思ったんです。それが2年生でプレゼミみたいな授業があって, で, 先輩からこの授業面白いよって言われて履修した授業の先生が, たまたま江戸文学の専門だったんです。で, 井原西鶴の木版本になった小説を読んでいこうってことになったんです。本文をぱらぱらめくっていたら, 最後に奥付があったんですね。先生にこの出版元ってどういう人なんですか?って尋ねたら, 知らないって返事がかえってきて。「知らない」とはどういうことですか?って訊くと, 「いや, 僕が知らないだけじゃなくて, いま研究の世界では判ってないんだ」というのが答。でも西鶴というのは江戸文学の中では最も盛んに研究されている領域の一つなんです。ところがその人の本を出版した版元がどういう人か判ってない。で, 幼稚な頭で考えたのは, 本というのは一般にニーズがあるから出版されるのであって, その本の担い手である, 本を作った版元がよくわからないというのでは, 出版物としての作品の本質に迫れないんじゃないかっていう風に考えたんですね。当時はそこまで言語化はできなかったんだけれど(苦笑), その「判っていない」という答えに非常に違和感を感じて。で, 生意気な言い方ですけど, わからないなら私がやる!って思って(一同:笑), それを卒論のテーマにして, 今に至るという(笑)。先輩に面白いよって言われた授業の中で非常に大きな疑問点を見つけて, それを今も解明するために勉強し続けているっていう状態ですね。その後, 大学院生になってから知ったんだけど, 私たちが当たり前だととらえて̶速水

元のページ  ../index.html#26

このブックを見る