NOW111号
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04藤島淳さん(以下敬称略):平昌オリンピックから約1か月半が経ちました。今のお気持ちはいかがですか。小平奈緒さん(以下敬称略):結果的に金メダルと銀メダルを持ち帰ることができました。20年前に長野で行われたオリンピックの感動を、また、この信州に持ち帰れたことが嬉しいです。私も含めみんなで、そんな感動を創り上げることができたと思っています。藤島:結城先生は、どういうお気持ちでしたか。結城匡啓教授(以下職名略):実はあまり特別な感概はなく…他の大会と同じように競技の出来栄えをいかに高めるかに終始していました。勝つという行為ではなく、いかに速く滑れるかを考え信州に、メダルと感動を持ち帰れた嬉しさ。自分の人生だから、成功も失敗も、すべて正解。ろ、とずっと言っていました。濱田州博学長(以下学長):私は非常に興奮して、テレビにすごく近づいて見ていました。テレビを壊すんじゃないか(笑)という気持ちになるぐらい応援していました。藤島:小平さんは、今回主将を務めて「百花繚乱」と、オリンピックの輪、スケートリンクの輪、応援の輪などの「輪」をキーワードに出されましたね。小平:主将は一人だけ目立つ存在と思われるんですが、それは私らしくないというか。私はわりと恥ずかしがり屋で人見知りのところもあるので、みんなが主役だというところを目指さないといけないと思っていました。みんなの勢いの輪の中に私もいたいという思いで、その言葉を挙げました。藤島:印象的だったのは、イ・サンファ選手との友情の場面。彼女との友情は、やはり特別なものでしょうか。小平:中学校で初めて全国大会に行った時に、父から「友だちをたくさんつくってこいよ」と言われ、とにかく友だちをつくるように意識しました。遠くで頑張っている仲間を感じると、頑張っているのは自分だけじゃないと思える。その国際バージョンが、イ・サンファ選手や、他の外国人選手とのつながりです。お互いに認め合える存在がいることで、自分自身を高めていけることが分かりました。藤島:先ほど人見知りと仰いましたが、あえて友だちをつくる努力をされたのですか。小平:自分から声をかけることが苦手でした。しかし、そうやって友だちをつくりだしてから、すごく世界が広がりました。結城:友だちが多いから強いとか、弱いとかはないと思いますが、心がオープンかどうかということがすごく大事です。心をさらけ出して、自分はこうしたいと主張できるかどうか。まさにそこが強くなるかどうかのカギだと思います。学長:信州大学は全国から学生が集まっています。そうした環境を活かし、いろいろな人と交流し合うのがいいと思いますね。結城:小平は、オランダ留学で自分の人生を俯瞰する経験をしたのだと思います。今日の新入生へのメッセージにあった言葉「成功も失敗もすべて正解」という覚悟もそうですが、自分の人生だから成功しても失敗しても自分の責任、というところは、まさにオープンです。オランダに行く前はわりと神経質で、「先生どうしましょう」っていうような感じでしたが、帰ってきてからは、「先生なんとかなりますよ」という風に変わりました。アスリートとしての生き方を達観したと感じます。イ・サンファ選手のように、お互いに認め合える存在がいると、自分自身を高めていけることが分かりました。(小平)友だちが多い、少ないというよりも、心がオープンかどうかということがすごく大事です。(結城)リート (スピードスケート)所属:相澤病院 信州大学教育学部卒業生)奈緒さん1959年兵庫県生まれ。1982年東京工業大学工学部卒業。1987年同大学院博士課程修了。1987年通商産業省工業技術院繊維高分子材料研究所研究員。1988年信州大学繊維学部助手。1996年同助教授、2002年同教授、2010年繊維学部長、2012年副学長を経て、2015年10月より現職。濱田州博(はまだ くにひろ)信州大学長

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