NOW108号
14/19

13信大交響楽団をサントリーホールで聴く。1986年10月、「世界一美しい響き」をコンセプトにしたサントリーホールは誕生した。私は、ホール建設計画発表の際、整地された建設予定地を目の前に臨むホテルオークラで実施された記者発表を担当、まさに広報の現場からホールの仕事はスタートした。基礎が出来つつあった頃、建設会社の音響研究所に当時の佐治敬三社長が、設計段階から意見を拝聴してきたヘルベルト・フォン・カラヤンを迎え、精巧な模型を使った音響実験に立ち会ったことも昨日のように思い出す。ホールの特徴は、まずコンサート専用ホールとして観客席がプレイヤーをぐるりと取り囲むビンヤード(ワイン畑)形式をとったこと。これによって素晴らしい音響とともに演奏家と聴衆が一体となって音楽を楽しめる。もう一つは、開演前や休憩時にも気持ちよく楽しんでいただけるように、お酒も含めたバーコーナーを設けたり、レセプショニストの配置、クローク等を充実させた。これによって音楽文化とその時間、空間を心から楽しめる「大人の社交場」になったことだろう。その後の我が国のホール建設に大きな影響を与えたことは言うまでもない。作曲家の芥川也寸志先生が、開館当時「世界に誇れる音響だが、床、壁面のウイスキーの樽づくりでノウハウを得たホワイトオークの木々が、時の経過で、より素晴らしい響きになる」とおっしゃったのを思い出す。そして31年経った今、その予言通り響きはより「熟成」してきているようだ。さて。2017年11月4日、信州大学交響楽団がこの「聖地」で、第100回記念定期演奏会を行った。曲目はチャイコフスキーの「くるみ割り人形」組曲と、チャレンジングにもマーラーの「交響曲第5番」。「くるみ割り人形」は軽快に、おしゃれに、躍動感あふれる演奏。マーラーは、圧巻だった。重厚で迫力に溢れ、学生のレベルをはるかに超える演奏だった。キャンパスがそれぞれ違う環境の中できっと若人たちは猛練習をしたのだろう。ブラボー、ブラボーの嵐の中、演奏者、聴衆、そしてホールが一体となった感動的なフィナーレに、涙が溢れた。1976年サントリー(株)入社、広報課長、広報誌編集長等を務める。1997年、デジタルCS放送局ジャパンイメージコミュニケーションズ取締役副社長就任。その後、日本農芸化学会広報委員、東京農工大出版会編集委員、ストリートメディア取締役、横浜商科大講師等を歴任。広報コンサルタント(元サントリー広報部)信州大学広報スタッフ会議外部アドバイザー氏谷 浩志信州大学交響楽団11月4日サントリーホール公演の様子信州大学は学外の広報有識者に広報アドバイザーとして、広報活動への助言・指導など、多彩な協力をいただいています。 ④サントリーホール総支配人の市本徹雄氏(左)とは同期で親友ⒸN.IkegamiⒸN.Ikegami

元のページ  ../index.html#14

このブックを見る