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045ナイアンティックポケモン GO ディレクター(工学部卒業生)司会・コーディネーター藤島淳さん(ふじしま じゅん)学生たちの熱意に応える信大の自由な学びの風土。在学中、先生たちには自由にさせてもらった。熱意を持って取り組めば、先生たちはそのことにいつも応えてくれた。(野村)藤島淳さん(以下敬称略):2016年は、「ポケモンGO」が一種の社会現象になった年でした。その開発者である野村さんが、どんな学生時代を送られたのか、たいへん興味深いものがあります。今日は、ご自身の大学生活を振り返りながら、存分に語っていただければと思います。野村達雄さん(以下敬称略):子どものころからゲームが好きで、遊ぶだけではなく、ゲームが動く仕組みにも興味を持っていました。中学生のときにパソコンを買って、ある程度のプログラミングは独学で習得していたんですが、大学に入って2年生になったとき、井澤裕司先生の「論理回路」という授業に出て衝撃を受けました。コンピュータの中枢であるCPUがどうやって動いているのかという原理を初めて知ったのですが、その説明がとても分かりやすくて。そうしたことがきっかけでこの世界にのめりこみ、FPGA(集積回路のパッケージの一種)でファミコンを作ったり、ゲームに絡んだことばかりやっていました。その後グーグルに入ってエンジニアになったんですが、気がついたらまたゲームに戻っていた、という感じです。藤島:学生時代からゲームを作っていらしたのですか。ポケモンGO開発の原点は、信州大学にあったわけですね。そんな自由な校風がこの大学にはあるのでしょうか。濱田州博学長(以下学長):意識して自由な校風を作っているというよりは、自然にそんな風土が培われてきたのだと思います。信大の学生は約85%以上が実家を離れて一人暮らしをしています。通学時間が少ないということは、その分自分の好きなことに時間を使えるということなんです。都会の学生に比べて時間に余裕があることが、自由度を高めるひとつの要因になっているのではないでしょうか。野村:たしかに、自由な時間は多かったと思います。当時の情報工学科には「エジソン・プロジェクト」というプログラムがあって、授業外で何でもいいので自分たちで研究課題を設定し、成果を出すと単位がもらえるというシステムでした。僕はそれを活用して結構単位を取りました。FPGAのファミコンも、そのエジソン・プロジェクトで発表したものです。電通クリエーティブディレクター、上海電通赴任等を経て、2014年に電通退社。ブランディングを主たる業務とする、ブランドア株式会社設立、代表取締役。上智大学講師(メディア・広告論)。野村達雄さん(信州大学広報スタッフ会議外部アドバイザー)

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